以前から気になっていた稲垣えみ子『寂しい生活』(東洋経済新報社、2017)という本を読んだ。
タイトルからしてなにか他人事ではないような気がしていたのだが、しかし、予想していた内容とはだいぶ違っていた。
この本は、現代人にとって「豊かさ」とは何かという考察なのである。
著者の稲垣さんは、福島の原発事故をきっかけに積極的に節電に取り組むようになる。
家電のコンセントをこまめに抜くところから始まり、やがて掃除機を捨て、電子レンジを使わなくなり、順調に電力消費を減らしてきた。
ところが、東京に転勤になった時、うっかり「オール電化」のマンションに引っ越してしまう。(うっかりしすぎだろう)
「オール電化」では、ちょっとやそっとの節電では思うように電力消費が抑えられない。
悩んだ末に、稲垣さんは冷蔵庫のコンセントを抜くことを決意する。
電子レンジは、あれば便利なものだが、なければないで大きな問題はない。しかし冷蔵庫は違う。
冷蔵庫は生活に必要不可欠なもの、それがなくては生活ができなくなるもの……と稲垣さん自身も思っていた。
しかし、本当にそうだろうか? つい50年ほど前までは、冷蔵庫がなくてもみんな普通に生活していたではないか? 昔の人にできて、今の私たちにできないということがあるだろうか?
果たして冷蔵庫をやめてみると……大丈夫だった。なんとかなる。いや、むしろ逆に、ご飯がおいしく、楽しくなった。
この辺りの事情は、本書の後に書かれた『もうレシピ本はいらない』に詳しい。(こちらはすでに読んでいる)
稲垣さんは、家電が私たちの生活にもたらした「豊かさ」について考える。
実は稲垣さんの父親は家電販売会社の営業をしていた人だそうで、その関係から稲垣家にはよその家よりも早くいろいろな家電がやってきた。稲垣さんも自分のことを「家電の子」と言っている。(ちなみに稲垣さんは1965年生まれ)
高度経済成長時代、「三種の神器」(白黒テレビ、洗濯機、冷蔵庫)や「3C」(カラーテレビ、クーラー、自動車〔カー〕)という言葉があったように、人々は競うように家電に代表される《物》を購入した。《物》が生活を「便利」で「快適」にし、「豊か」にすると信じた。
たしかにそれは生活に「必要」なものだったかもしれない。しかし、家電はいつしか「必要以上」のものを生活に与えるようになったのではないか。
そして私たちは、過剰な「便利」や「快適」とひきかえに、 生活からなにかを失ったのではないか。
自分の目で見て、自分の頭で考えて、自分の手足でやってみるということ。もしやそのことを、今の世の中は「不便」と呼んでいるんじゃないだろうか。
だとすれば、不便って「生きる」ってことです。
だとすれば、便利ってもしや「死んでる」ってことだったのかもしれない。(p.73)
「不便」を「便利」に変えるのではなく、「不便」を「不便」のまま楽しむこと。それができれば、生活それ自体が(ある意味)遊びになる。
もちろん稲垣さんは、みんな自分と同じように生活すべきだと言っているのではない。
ただ、誰かがデザインした「理想の生活」を追いかけて、それと違う現実に苛立ったり不安になったりするよりも、一つ一つ自分で考えながら自分の生活を作っていこうということだと思う。
生活は苦行ではなく、楽しいことなのだから。
(……と思えるように、私もなりたい)