何を読んでも何かを思いだす

人生の半分はフィクションでできている。

一人称

 

ブログを始めた時からずっと「私」という一人称を使っている。

とくに理由があったわけではなく、自然とそうなったのだが、ほかの人の文章を読んでいると、別の一人称の方がよかったのかなと思うことがある。

 

たとえば男性なら「僕」「俺」というのがある。

「僕」は「私」に比べるとソフトな印象がある。なんとなく丁寧で人当たりがいいというか。しかしちょっと幼い感じがしなくもない。

それに対して「俺」はハードな感じだ。ブログで使っている人は少ないかもしれない。ちょっと乱暴な感じもするが、よそよそしくない、ざっくばらんな感じで語りたい時には合っているような気がする。

 

また〈ぼく〉にしても、漢字で「僕」と書くのと、ひらがなの「ぼく」やカタカナの「ボク」とではそれぞれ微妙に印象が違う。

もちろん「おれ」「オレ」についても同じことが言える。

いつも使っている「私」を「わたし」「ワタシ」にすれば、このブログの印象も少しは違ってくるかもしれない。「私」を〈わたくし〉と読んでもらうのはちょっと無理があるか。

そのほかに思いつく一人称を列挙すれば、「自分」「ワシ」「余」「我輩」「それがし」「拙者」「朕」……いやいや、おまえ何者だよ?

 

女性の場合はだいたい「わたし」か、そのバリエーションの「あたし」が一般的だろう。

外国語のことは知らないが、日本語の一人称の男女の違いというのはけっこう大きいような気がする。(この辺りのことは当然誰かが研究しているのだと思う)

もっとも昔は(とくに農村で)年配の女性が自分のことを〈おれ〉とか〈わし〉というのは珍しくなかったので、それほど単純なことではないのかもしれない。

 

女性で「おれ」といえば、最近では、漫画の『ワンピース』に出てくる四皇「ビッグマム」が使っている。 (まあ、ビッグマムの場合はもはや性別がどうこういうレベルではないような気もするが)

漫画の場合、個性的な一人称を使わせてキャラクターを特徴づけるということがよくあるが、なかでも一番珍しい一人称といえば、やっぱりこれか。

 

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朝霧カフカ春河35『文豪ストレイドックス』(角川書店)より

 

「僕」と書いて〈やつがれ〉と読むなんて初めて知った。そんな言葉、どこから引っ張り出してきたんだか……。

 

閑話休題

文章ではなく会話の場合は、私はたいてい〈おれ〉を使っている。少し改まる必要がある時、たとえば会社の上司と話す時などは〈わたし〉よりも〈じぶん〉を使うかな。

日常生活で〈わたし〉を使うことはあまりない。

そう考えると、この文章上に現れる「私」という主体は、現実の私とは似て非なる別の存在ということになるのかもしれない。

 

そろそろ「私」でいることにも飽きたので、次回の記事からは「僕〈やつがれ〉」になります。(嘘)