何を読んでも何かを思いだす

人生の半分はフィクションでできている。

だれも買わない本は……

 

編集者でライターの都築響一さんにこんなタイトルの本がある。

『だれも買わない本は、だれかが買わなきゃならないんだ』晶文社、2008)

 

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内容は書評と、本や書店に関するエッセイなのだが、とりあえずそれは置いといてこのタイトルがすばらしい。

すばらしいのでもう一度言おう。

だれも買わない本は、だれかが買わなきゃならないんだ。

 

本屋に行くと、無数と言ってもいいくらいの本が並んでいる。しかし、当然ながら、すべての本が等しく売れるわけではない。

ベストセラーとして華々しく平台に積まれている本がある一方、目立たずにずっと棚に差されている本もある。いや、そういう本がほとんどだと言っていい。

売れなかった本はどうなるか。

たいていの新刊書店は委託販売の形をとっているので、一定期間売れない本は出版社に「返本」されて倉庫などに保管される。しかしそれもずっと置いておくわけにはいかないので、やがては処分されてしまう。

毎日たくさんの新刊が世に出てきて、たくさんの本が消えていく。

もちろんすべての本がベストセラーを狙って出版されるわけではない。

しかし商業出版である以上は、ある程度は売れてもらわなくては困る。少なくとも著者や出版社にとって「次の本」につながる程度には。

 

都築さんも著者として、また編集者としてたくさんの本を作ってきた。そうやって「売れない本を作り続けていられるのは、(……)僕と同じぐらいバカな人たちが、売れない本を買ってくれるからだ」(あとがき)という。

 

 毎日いちどは本屋に寄らないと気がすまなくて、給料が出るたびに紙袋を持つ指がちぎれるほど買い込んで、一生かかっても読み切れないほどの山を部屋中に築いて。妻子には迷惑がられ、知識は増えても貯金は減るいっぽうで、女にはモテず、視力も精力も減退するばかり……本というものは、少しなら役に立つけれど、多すぎるとロクなことはない。

(……)

 そういう本バカにささえられて、僕は生きている。(p.281)

 

ああ、こんな文章を読むとなんだか胸が熱くなる。その「本バカ」がとても他人とは思えない。私が本を買う行為も、多少は誰かの支えになっているだろうか。

 

売れない本を作って、売れない本を買って……そうやって本まみれの無駄な人生を、いつか終えるのだろう。(p.281)

 

私もまた「本まみれの無駄な人生を、いつか終えるのだろう」なあ。しかし、それでもやっぱり本を買うのだろう。なぜならーー

だれも買わない本は、だれかが買わなきゃならないんだ。