何を読んでも何かを思いだす

人生の半分はフィクションでできている。

的?

 

昨日、仕事の帰りにふらりと書店(市内に2軒ある新刊書店のひとつ)に立ち寄って新刊文庫のコーナーを見ると、変な本があった。

 

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岩波文庫……的?

 

なんだこれ?

2017年に岩波書店から刊行された佐藤正午直木賞受賞作『月の満ち欠け』の文庫化。それはわかる。

でも「的」って何?

ちなみにカバーをはずした本体の画像はこちら。

 

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岩波文庫そのままの装丁だが、やはり「的」になっている。

 

この本には著者への短いインタビューが収録された付録が挟み込まれていて、そこで簡単な経緯が説明されている。それによると、著者は最初、普通に岩波文庫に入れてくれとリクエストしたものの、担当に断られたのだそうだ。そりゃそうだろう。普通なら「岩波現代文庫」に入るのが妥当なところだ。

いま思えば、単行本が刊行されてまだ二年半の小説を岩波文庫に入れろというのは無茶だったと思うんだけど、その無茶がおもしろいかなと思って。「何でこんなのを岩波文庫に入れちゃうの?」という悪評をね、聞いてみたかった。(インタビューより)

で、本家に入れられないなら、それらしい装丁で出してみようという流れになったらしい。いわゆるセルフパロディだ。

ちなみに岩波書店のHPでは、

 「岩波文庫」への収録も検討しましたが、長い時間の評価に堪えた古典を収録する叢書に、このみずみずしい作品を収録するのは尚早と考え、でも気持ちは岩波文庫という著者のちょっとしたいたずら心もあり、「岩波文庫的」文庫になりました。(岩波書店HPより)

と説明されている。「尚早」というのはずいぶん気を遣った言い方だ。岩波文庫の性格からすれば「100年早い!」と言いたいところかもしれないが、著者もそんなことは百も承知であることは、インタビューの言葉にもある通り。

僕が期待しているのは、「何だこれは、バカにしてるのか!」って意見が出てきてくれること。(インタビューより)

というのだから人を食っている。

 

それにしても、お堅いイメージの岩波文庫がこんな遊びをするとは、ちょっと意外だ。ほかの作家が「これいいな。俺も『的』にしてくれ」と言ったらどうするんだろう。

ところで、私がこの本を買った書店は普段岩波文庫を扱っていない。直木賞受賞作の文庫化だからということで仕入れたのかもしれないが、この本、ほかの岩波文庫と同じように買い切り(売れ残っても返本できない)なのだろうか? そこがちょっと気になった。

まあ、なんにしても、変わった企画だ。私は佐藤正午を読んだことがなかったので、こんな形でなければ本を買わなかったと思う。(出版社の思うツボのような気もするけど)

 

で、肝心の小説の内容は? ……これから読みます。