何を読んでも何かを思いだす

人生の半分はフィクションでできている。

字は人を表すか?

 

新保信長『字が汚い!』(文春文庫、2020 / 文藝春秋、2017)という本を読む。

 

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編集者でありライターでもある著者は、あるとき自分の字の汚さにうんざりする。

ある企画の依頼状を、「アナログ世代編集者としては、ここぞという場面ではやはり手書きの手紙で誠意を見せたい」と思い、万年筆で便箋に書くのだが、筆跡があまりにも子供っぽく「とても五十路を迎えた分別ある大人の字には見えない」ことに軽く絶望したというのだ。

 

私も著者とほとんど同年代なので、これだけワープロ(PC)が普及しても、ここぞというときにはやはり手書きで、という「手書き信仰」がある。手書きのほうが気持ちが伝わる、みたいな。(まあ、「手作りクッキー」とか「手編みのセーター」と同様の幻想のような気もするが)

いまは手書きの機会が減ったからこそ、逆に手書きの付加価値が高くなっていると言えるのかもしれない。

 

著者はきれいな字を書くために、知り合いの字がきれいな(あるいは汚い)ライターに話を聞いたり、いろいろな市販の練習帳を買って試したり、ペン字教室に通ったりする。これがこの本の前半、いわば「実践篇」というところ。

後半では、いろいろな作家の直筆原稿や政治家などの字を観察して、字と性格の関係を考えたり、時代による文字の流行り廃りを考察したり、街の中の「いい感じ」の手書き文字を探したりする。

とくに興味深かったのは、70年代後半から80年代の中頃まで女の子の間で流行った「丸文字」(マンガ文字)の考察で、そのころ同級生の女の子たちが競うように丸っこい字を書いていたのを思い出した。(男の私も多少影響を受けたような気がする)

 

ところで、私たちは著名人の字を見て「○○らしい字だ」というように、書いた人の「人となり」が字にあらわれるように思うことがあるが、実際のところ、どうなのだろう?

著名人の場合は、事前にその人に関する情報やイメージを持っていて、そういう先入観をもとに字を見るのでなんとなく性格が出ているように感じるのではないかと思う。たとえば本書に引用されている石原慎太郎の原稿の字が、いかにも「オレ様」な感じがするのも、私が石原氏にそういうイメージを抱いているからだろう。

では何の予備情報もなく、字だけを見て性格を言い当てることはできるのか?

著者は「筆跡診断士&ビジネスコミュニケーションコンサルタント」という長い肩書きの人にも話を聞いていて、その人は、筆跡診断で書いた人の「本当の自分」がわかるのだという。しかも逆に、字を変えることで性格を変えることができるというのだが……そこまで言われるとちょっと眉に唾をつけたくなる。

なんだか手相や血液型に近い話のような気もする。当たるような、そうでもないような……。

 

ちなみに(興味はないかもしれないが)私はこんな字を書く。

 

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これは「よそ行き」の字ではなく、メモや日記を書くときの感じで書いたものだ。

さて、こんな字を書く私は、いったいどんな人でしょう?