何を読んでも何かを思いだす

人生の半分はフィクションでできている。

いまどきの文通

 

先日、コインランドリーで洗濯が終わるまでの時間潰しに女性誌を読んでいると、ちょっと変わった広告を見つけた。

「フミフレ」という、読売グループがやっている「文通サービス」だ。

その「文通サービス」というのがどういうものなのか気になったので、家に帰ってさっそく調べてみた。

 

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(「フミフレ」のwebページより借用)

「文通サービス」とは、要するに、文通を仲介するサービスらしい。

手順を説明すると次の通り。

① まず「フミフレ」に入会(会員登録)する。(有料)

② 送られてくる会報を見て、文通希望者の中から文通したいと思う人を探す。

③ 手紙を書き、封筒に入れ、相手のペンネームと専用の住所(管理番号など)を書き(切手はいらない)、それをさらに専用の封筒に入れていったん事務局に送る。(この郵送料は必要)

④ 事務局から相手の人に手紙を(会報と一緒に)送る。

図にするとこうなる。

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(「フミフレ」webページより借用)

もちろん逆に、会報の文通希望欄に掲載してもらって、誰かから手紙が来るのを待つこともできる。

 (この説明で間違ってはいないと思うが、正確な情報が知りたい人、興味がある人は実際に「フミフレ」のページを見ていただきたい)

 

このシステムの一番のポイントは、文通だけど匿名性が保持されているところだ。

会員はペンネームと専用の住所でやりとりするので、お互いの本名や実際の住所を知らない。事務局だけがそれを管理している。

昔の文通希望者は、当然のこととして名前と住所を雑誌などに載せていたが、今のご時世でそれは怖い。昔の方がおおらかだとか、悪い人が少なかったということではもちろんなくて、単に個人情報の悪用の仕方が限られていたというだけに過ぎない。ネットが発達した現在では状況が違う。

たとえ会員制であっても、顔も知らない相手に名前や住所を知られるのはやはりちょっと怖い。だから事務局が間にはいって、お互いペンネームだけで手紙をやりとりできるのなら安心というわけだ。

それならネットでも良さそうなものだが、そこはやはり手紙の良さ、デジタルな文字にはない手書きの文字の味わいがある。

 

さて、一応システムを理解したうえで、なるほど良くできた仕組みだなとは思うのだが、ちょっとした違和感というか、もの足りなさを感じてしまう。

手紙のあじわいはその内容だけにあるのではない。その手紙がある距離を移動してきたこと、それ自体がひとつのあじわいである。どこか遠くのポストに投函された手紙が自分の家のポストに届くまでの過程、それをぼんやりと想像する楽しみがある。

それを《旅情》と言ってもいいかもしれない。手紙は小さな《旅情》なのだ。

上で説明した「文通サービス」でも手紙は確かに移動している。ちゃんと目的地に着いている。しかしその移動は《旅情》に乏しいような気がする。具体的にいえば、切手も消印もない手紙にはあまり《旅情》が感じられない。

普通の郵便による文通が列車やバスを乗り継ぐ一人旅だとすると、このサービスによる文通はバスを降りない団体旅行みたいな感じだ。

 

たしかに安全で安心、しかも便利で確実なシステムだとは思うけれど、その安全さが少しばかり味気ないような気がする。

ケチをつけているわけではなく、ないものねだりというか、私の勝手な考えなのだが、文通はもう少し不便で不安で不確実なものでもいいのではないか。そんな気がするのだが、どうか?

 

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