何を読んでも何かを思いだす

人生の半分はフィクションでできている。

「読書週間」の標語を読む

 

毎年10月27日から11月9日までの2週間は「読書週間」ということになっていて、この期間に読書や本に関するイベントが多く開催される。

この「読書週間」の歴史は意外に古く、その前身にあたる「図書週間」が制定されたのは1924年大正13年)のことだ。その後戦争による中断をはさんで、1947年(昭和22年)に改めて「読書週間」として制定される。これを第1回として、今年で75回になる。(Wikipediaを参照)

 

この「読書週間」にあたって、毎年本や読書をテーマにした標語とポスターが作られる。現在ではどちらも公募になっていて、今年選ばれたのはこちら。

 

最後の頁を閉じた 違う私がいた

 

ポスターはこちら。

 

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ふと気になって、今までの標語はどんな感じだったのかと調べてみると、「読書週間」を運営(?)する読書推進運動協議会のHPで過去のポスターと標語を見ることができた。これがなかなかおもしろかったので、一部を紹介したいと思う。

 

記念すべき第1回の標語は「楽しく読んで 明るく生きよう」(1947)である。なにげなく「生きよう」なんて言葉が出てくるところが戦後らしいような気がする。

これから60年代ぐらいまでは真面目な感じというか、あまりおもしろ味がなく、実用的な標語という印象だ。特徴的なのは「明るい」という言葉が多いことか。例えば「そろって読書 明るい家庭」(1957)、「読書でつくろう 明るい社会」(1958)、「あかるい生活 たのしい読書」(1961)、「みんなで読書 あかるい社会」(1965、66)などである。

本を読んで明るい家庭ができるかどうかははなはだ疑問だが、こういう前向きな感じが当時の雰囲気なのだろうか。

もう一つこの時期の特徴として、「家庭」や「社会」という言葉がよく使われている。上に挙げた例もそうだが、ほかにも「よい社会 ひとりひとりの読書から」(1960、1971)なんていうのもある。読書が個人的な行為として完結せずに、それがひいては社会を良くしていくという思想が見てとれる。

 

70年代に入ると、もう少し個人的に、読書があなたの人生を豊かにしてくれるといったニュアンスが強くなる。「本との出会い 豊かな心」(1974)、「本との出会い ゆたかな時間」(1975、76)、「本との出会い ゆたかな人生」(1981)などである。

おもしろいところでは、「翔べ心! 本はその翼である」(1978)、「燃えよ人生! 本とのふれあい」(1979)というのがあって、なぜかこの2年だけ異様に熱い。まるで松岡修造のようだ。「燃えよ人生」って言われてもなあ。

 

80年代の後半からは、なんというか、表現がもっと感覚的になる。別の言葉で言えばオシャレになる。標語というよりは「コピー」と言ったほうがいいかもしれない。いくつか列挙してみると、

「秋が好き。街が好き。本が好き。」(1989)

「ゆっくりと各駅停車、本の旅」(1993)

「本を読んだね! いい顔してるよ」(1995)

「本を読んでる君が好き」(2005)

「おかえり、栞の場所で待ってるよ」(2019)

などなど。もっと紹介したいが、とりあえずこのくらいで。

とくに共通したものがあるわけではないが、あえて言うなら、読書という行為それ自体をテーマにしているといった感じか。なにか目的や意義があるから本を読むというのではなく、ただ純粋に本を読むことが好きだという感情を表現しているように思える。

 

簡単に紹介したけれど、こういった標語を見ると、それぞれの時代で読書に求められているものが少しずつ違うように思える。

それとも、それは表面的なものであって、読書の本質にある喜びは変わらないのだろうか。

標語だけでなくポスターも興味深いのだが、それは実際に見ないとわからないので、「読書推進運動協議会」の「ポスターギャラリー」のURLを貼っておく。興味がある人はどうぞ。

http://www.dokusyo.or.jp/jigyo/dokusyo/dokusyopos.htm

 

そういえば、ウチのブログのタイトルもなんだか標語っぽいなあ。

 

今週のお題「読書の秋」