ヘレーン・ハンフ編著『チャリング・クロス街84番地 増補版』(江藤淳訳、中公文庫、2021)が出たので読んだ。
たしか四半世紀ぐらい前に旧版を読んでいるはずだが、細かいところは忘れていたので、新鮮な気持ちで読むことができた。
著者のヘレーン・ハンフはニューヨーク在住の作家。といっても当時はまだ有名な作家ではなく、テレビのシナリオや子ども向けの本を書いて糊口をしのいでいた。
そんな彼女の楽しみは読書なのだが、いつも読むのは英文学やギリシア・ローマの「古典」で、それも小説や物語よりもエッセイや日記を好む。古書が好きで、新刊本には見向きもしない。
しかし彼女の趣味を満たしてくれるような古書店が近くにはない。
そこで彼女は新聞に載っていた広告を頼りに、大西洋を隔てたロンドンの「チャリング・クロス街84番地」の絶版本専門の古書店「マークス社」に欲しい本のリストを送り、本を取り寄せることにした。1949年、第二次世界大戦が終わってまだいくらも経っていない頃のことだ。
マークス社から送られてきた本に満足した彼女は、二度三度と注文を繰り返す。
その注文にいつも対応するのは、同社のフランク・ドエル氏。
こうして二人の間には、本と手紙による関係が築かれていく。
この『チャリング・クロス街84番地』という本は、この二人の手紙を中心にした書簡集なのである。
ヘレーンの方はすぐに打ち解けた(ときに相手をからかうようなユーモアのある)手紙を寄越すようになるが、フランクの方はあくまでお客と店員の立場をわきまえた慇懃な手紙を書く。(そこがイギリス人らしい)
しかし何度もやりとりをしているうちに、フランクの書く手紙もしだいに親しげになり(もちろん分別は失わないが)、二人の間には《友情》と呼べるようなものが生まれるのだ。(その辺りの変化を表す翻訳が実にうまい)
この二人の交流は、フランクが急病で亡くなる1968年まで約20年続くことになる。
ヘレーンは本を注文するだけでなく、クリスマスなどのお祝いに頻繁にマークス社宛に食料品などの小包を送る。戦後のイギリスでは、食料や衣料品が自由に買えないからだ。同じ「戦勝国」でも、イギリスとアメリカでは状況に雲泥の差がある。
意地の悪い見方をすれば、こういうプレゼントはいかにも「ほどこし」のようで、ちょっと嫌味にも見える。
しかし、この本を読んでそう思う者はまずいないだろう。送る側はまったくの善意であり、もらった側も素直に感謝する。互いに信頼があるからだ。
私はこの本を読んでいる間、ずっとニコニコしていたような気がする。そしてときどき泣きたいような気持ちになった。
この本の中には、人間の「善いところ」しかないと思ったからだ。
お互いに相手を信頼し、気遣い、相手のために何かをしようという気持ち。つまり「善意」だ。
もちろん、いくら私が歳のわりに世間知らずとはいえ、人間がそんな善意ばかりでできているとは思っていない。
しかしそれでも、いや、それだからこそ、人の善意を見ると嬉しくなる。
しかもその善意が、本と手紙によって、つまり紙と文字を媒介にしてやりとりされていることが、本好きにはとても嬉しい。
翻訳した江藤淳も「解説」の中でこう言っている。
『チャリング・クロス街84番地』を読む人々は、書物というものの本来あるべき姿を思い、真に書物を愛する人々がどのような人々であるかを思い、そういう人々の心が奏でた善意の音楽を聴くであろう。世の中が荒れ果て、悪意と敵意に占領され、人と人とのあいだの信頼が軽んじられるような風潮がさかんな現代にあってこそ、このようなささやかな本の存在意義は大きいように思われる。(p.219)
この「解説」が書かれたのは元版刊行時の1972年。
それから50年。
上に引用した江藤淳の言葉がよりいっそう重さを増しているような気がする。