何を読んでも何かを思いだす

人生の半分はフィクションでできている。

便利のインフレ

 

私は「ヤフオク」のヘビーユーザーなのだが、最近「かんたん決済」のシステムが少し変わったみたいで、いままで利用できていた(プリペイド式の)クレジットカードが一部のストアで使えなくなった。

 

その場合は「コンビニ決済」を利用する。通知された専用の番号をメモしてコンビニに行き、機械で手続きをしてレジで代金を支払うのだが、これがなかなかにめんどくさい。

クレジットカードなら落札してすぐに家に居ながら決済できるのに、コンビニだと翌日になってしまう(終了時間が夜のことが多いので)。雨とか降っているとさらに億劫になる。不便である。

 

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しかし考えてみれば、初めて「コンビニ決済」を利用した時には「なんて便利なシステムなんだ」とちょっと感動したものだ。

それまでは通販で何かを買ってお金を払う方法といえば、たいてい銀行や郵便局での「振込み」だった。(「代金引換」という手もあるが、本のような細かい買い物には向いていないし、料金が高い)

だからATMが使える時間に合わせてわざわざ銀行なり郵便局なりに出向かなければならなかった。不便である。

それがコンビニなら24時間いつでも利用できるのだ。

 

いやしかし、その不便な銀行振込みにしたところで、ATMができるまではいちいち「窓口」で手続きをしなければならなかったのだし、それを考えればATMというのはものすごく便利なものなのだと改めて気づく。

 

いままでは便利だと思っていた物やサービスも、それよりさらに便利なものが出てくると相対的に不便になってしまう。そしてさらに便利なものが……という「便利のインフレ」状態になっていく。(少年漫画の「強さのインフレ」みたいなものだ)

こうして人は便利から引き返せなくなっていく。

なかにはどんどん便利になる生活に違和感を感じる人というのもいて、そういう人はあえて不便な生活をやってみようとしたりするのだが、それはやっぱり少数派で、たいていの人は加速する便利に乗っかって流されていくのである。(私もそうなのだけれど)

その流れの果て、便利のインフレが極まった世界というのはどういうものなのか。

見てみたいような、怖いような。