何を読んでも何かを思いだす

人生の半分はフィクションでできている。

同人誌がある生活

 

前回読んだ川崎昌平『労働者のための漫画の描き方教室』の姉妹編ともいうべき本がこちら。

川崎昌平『同人誌をつくったら人生変わった件について。』幻冬舎、2019)

 

f:id:paperwalker:20201018124518j:plain

 

この本は『労働者の……』と違って物語になっている。

主人公はデザイン会社に勤務するA子、30歳。

彼女はとくに仕事ができるというわけではなく、また仕事にやりがいや熱意も感じていない。かといって、ほかに情熱を向けるようなものもなく、ただなんとなく日々を過ごしている。さらに悪いことに、彼女自身が自分を「なんにもないつまらない女」だと思っている。

ある時、それを同僚のC太郎に指摘され、なにもない自分を変えたいと思う。

そこで思いついたのが、同じく同僚のB美がやっている「同人誌」というものだった。

そこから彼女の漫画同人誌制作が始まる。

 

私は(漫画の )同人誌というものに関してぼんやりとした知識しか持っていないけれど、この本にはかなり具体的な製作の過程が描かれている(のだと思う)。

実際につくっている人が読んだらどう思うかはわからないが、私はかなり興味深く読んだ。ズブの素人の私でも、ひょっとしたらつくれるんじゃないかと思えるくらいに。

 

A子はイベントにも参加して、次第に同人誌にのめり込んでいく。A子にとっての同人誌は仕事の余暇にするただの趣味ではなく、仕事と同等かそれ以上のものだ。

仕事以外に夢中になれるものが見つかると、不思議と仕事もうまく回るようになる。

同人誌のことで熱くなった頭を、労働が適度に冷ましてくれるのである。

 

 同人誌をつくらなければ、労働は退屈な日常の象徴でしかなかった。

 でも同人誌をつくった途端、労働が一種の癒しになったのである。

 まさか働くことで「気が紛れる」日が訪れるとは夢にも思わなかったため、私は少し以上に興奮した。(p.179)

 

前著『労働者の……』で著者は仕事に関して「ジョブ」「ワーク」という言葉を使い分けていた。簡単に言えば、「ジョブ」とは金銭的対価を得るための労働で、「ワーク」とは生きがいや生きる目的である。

両者が一致していればそれでいいが、そうでなければ自分にとっての「ワーク」をもう一度よく考えてみよう。(日本人は「ジョブ」と「ワーク」を同一視し過ぎると著者は指摘する)

A子には「ジョブ」はあっても「ワーク」がなかった。その「ワーク」を同人誌に見出したのだ。そして会社の仕事を「ジョブ」と割り切ったことで、逆に仕事に集中できるようになった。

労働そのものが変化したわけではないが、A子の労働に対する見方が変化し、A子と労働の関係が変化したのだ。それが仕事にとってもいい方向に作用したというわけだ。 (多少話が出来過ぎな気もするが)

 

もちろん何を「ワーク」とするかは人それぞれだ。

 

 同人誌をつくれば、労働のつらさはちょっとだけ軽減される。

 同人誌を愉しめば、ライフスタイルの途上で顔を出す小さなワクワクに、かなりの頻度で出会えるようになる。

 同人誌で表現すれば、生きることがいきなり素晴らしいものになるわけではないけれど、生きる上での柔らかい刺激がそこそこたくさん得られるようになる。

 同人誌をつくれば、あなたは新しいものを得られるのである、確実に。(p.261)

 

上の引用の「同人誌」の部分を自分で別の言葉に言い換えてみよう。

たとえば「ブログ」でもいいけれど。