何を読んでも何かを思いだす

人生の半分はフィクションでできている。

気力バッテリー

  

最近どうにも気力がない。

仕事のない休日を無気力にだらだらと過ごしていることは以前書いたけれど、最近では仕事に対する気力も涸れてきているような気がする。これはまずい。

 

気力がなくなったのなら、どうにかして気力を再チャージしなければならない。

人はそれぞれに気力のチャージ方法を持っている。

おいしいものを食べたり、ショッピングをしたり、小旅行をしたり、あるいは家族と過ごしたり、要するに好きなことや楽しいことをして気分をリフレッシュして、(しかたなく)前向きに「よし、明日からまたがんばるか」というふうに気持ちを持っていく。

私の場合はというと、まずはしっかり眠ること。寝不足になると気持ちがかさかさしてきて、いろんなことがどうでもよくなってしまう。

それから、(できれば大きな)本屋に行くこと。たくさんの未知の本に囲まれていると、なんだか楽しくなってくる。以前、かなり気持ちが落ちていたときに大型書店に行ったら、急に多幸感に襲われて泣きそうになったことがある。ちょっと変態かもしれない。

それなら図書館でもよさそうなものだが、ここはやっぱり本屋の方がいい。本が買いたい→お金が必要→働かなければ、という、わかりやすい「やる気」が出てくる。

まあ、そんな感じで気力をチャージし、少なくなったらまたチャージしての繰り返し。たいていの人はそんなふうに生活しているのだと思う。

 

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ところが……最近はそのチャージがあまりうまくできない。チャージできたと思っても、あまり長くもたない。気力の「減り」が早いのだ。

そこでふと思ったのだが、人間にも(スマホみたいに)気力をチャージしておくバッテリーのようなものがあるのかもしれない。しかもそれは、年齢とともに「劣化」していくのではないか。

そうなると気力のチャージに時間がかかるようになり、チャージしたと思ってもすぐにまた切れてしまう。

これがスマホタブレットならバッテリーを交換すればいいのだが、人間はそうはいかない。ましてや本体ごと新しいのに換えるわけにもいかない。

古いバッテリーのまま、なんとか生きる気力が途切れないように、だましだまし使っていかなければならない。

つまりはそれが「老いる」ということだろうか。

やれやれ。