何を読んでも何かを思いだす

人生の半分はフィクションでできている。

金魚屋古書店

 

駅の方から川沿いの長い道を歩いてくると、左手に一軒の古本屋が見えてくる。

昭和の雰囲気を色濃く残したその店の名前は金魚屋古書店。漫画専門の古本屋だ。

引き戸を開けて中に入ると左手すぐに帳場があって、ショートカットが似合う店長代理の菜月さんか、居候で店員の斯波(しば)さんが座っている。(ときどき居眠りをしている)

二人がいない時には、常連さんが店番をしていることもある。

店内は人が10人も入れば身動きできなくなるぐらいの広さで、入り口以外の壁を本棚が占めている。しかしめちゃくちゃ本が多いという印象はない。

もし何か探している漫画があって、それが店内に見当たらなかったとしても、がっかりして帰ってはいけない。店番の人にその漫画の名前を言ってみよう。その人はたぶん「ちょっと待ってて」と言って店の奥に消えていくだろう。いや、運が良ければあなたも連れていってもらえるかもしれない。

 

奥の部屋には地下へと続く階段があって、店の人はさっさと降りていく。あなたは恐る恐る後に続く。

地下の薄暗さに目が慣れたとき、あなたはきっと息を飲むだろう。

天井に届くほど高く大きな本棚が整然と並び、それがいくつもの通路をつくっている。通路の果ては闇に吸い込まれていて見えない。いや、果てなどないのかもしれない。そしてそのすべての本棚に本が収まっている。いったいどれだけの本があるのか、たぶん誰にもわからない。

あなたは我知らずこう言うだろう。

「これ、ぜんぶ漫画の本ですか……?」

初めてここ、金魚屋古書店の地下、通称「ダンジョン」を訪れた人は異口同音にそう言う。

「ええ、ぜんぶ漫画です」

店の人はこともなげに答える。

あなたはすこし怖くなる。無限とも思える漫画の量に圧倒される。漫画という形をとって紡がれてきた人間の想いに圧倒される……。

 

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今月(2020年6月)芳崎せいむ金魚屋古書店小学館)の最終第17集が刊行される。

第16集の刊行が2014年だから、実に6年ぶりのことだ。

 

金魚屋古書店』は「月刊IKKI」という漫画誌に連載されていたのだが、同誌は2014年11月号をもって休刊。連載されていた漫画の中には新雑誌に引き継がれるものや他誌に移籍するものもあったのだが、『金魚屋』はどちらでもなかった。ただ、作者のブログで第17集を執筆していることが告げられていた。

しかし、待てど暮らせど新刊の告知はなかった。

私は諦めていた。こういうことは、ままあることだ。残念だけど、仕方がない。

そこに6年ぶりの新刊の情報だ。「晴天の霹靂」とはこういう時に使う。

 

驚きの後には喜びが続いたけれど、その後には一抹の寂しさが続いた。

作品にとっては、宙ぶらりんの未完状態よりはきっちり完結した方がいいに決まっている。それはわかっているのだが……。

もしかしたらどこかの雑誌でひょっこり連載が再開されたりするかも……という淡い期待が心のどこかにあったのだが、完結してしまえばその可能性はゼロになる。これ以上新しい物語が描かれないというのは、やっぱり寂しい。

 

いや、寂しく思うことなどないのかもしれない。

手元に本さえあれば何度でも読み返すことができる。

本を開けば、いつだって金魚屋古書店はそこにある。

 

と、思いたい。

 

今週のお題「好きなお店」