何を読んでも何かを思いだす

人生の半分はフィクションでできている。

きのみきのまま

 

ネットで書評記事を見ていたとき、「おや?」と思った。

綿矢りさの長篇小説『生のみ生のままで』(きのみきのままで)という本が紹介されていたのだが、《きのみきのまま》ってこういう漢字だったっけ? と思ったのだ。

 

私が知っているのは「着のみ着のまま」である。

ひょっとして、私が間違って覚えていたのか、知らないうちに長い間恥をかいていたパターンか(そういうことはよくある)、と思って焦ったのだが、調べてみるとやはり「着」で正解なのだった。

綿矢さんはもちろん知った上であえて「生」という字をあてていて、それはたぶん小説の内容と関係があるのだろう。(未読なのでわからないが)ちなみに紹介文を読むと、女性同士の恋愛を描いた小説らしい。オッサンとしてはちょっと躊躇するテーマだ。

 

それはともかく、漢字は「着」であっていたのだが、どうやら私は間違った意味で覚えていたらしいということがわかった。

私の認識では、この言葉は〈着飾らない、普段着のままで〉というような意味だったのだ。使い方としては、

「ちょっとしたパーティーに呼ばれたんだけど、着替えるの面倒だから着のみ着のままで行ってきた」

みたいな感じになる。しかしこれは間違った使い方だった。

「着のみ着のまま」の正しい意味は〈身に付けている着物だけで、ほかに何も持たずに〉というものだった。使い方は、

「旅行先で火事にあって、着のみ着のままで逃げ出した」

という感じ。

 

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普段着といえばスウェット

 

もうひとつ、この言葉がよく間違われる例として、〈気ままに、気のむくままに〉という意味で誤用されることが多いそうだ。

「着のまま」と「気まま」がごっちゃになったのかもしれない。

あるいは「何も持たない状態→気楽な感じ→気まま」という連想があるのかもしれない。

「気ままに」という気分を表現したいのなら、逆に「気」という漢字をあてて「気のみ気のまま」にしてみてはどうだろう。

もちろん間違いだが、実際こういうふうに間違って覚えている人もいるかもしれない。

 

ついでにもうひとつ。「木の実木のまま」というのははどうか?

例えば、柿の木にはそのまま柿の実がなる、という、要するに「蛙の子は蛙」みたいな意味なんだが……これはちょっと無理があるか。

まあ、書きたいことを書きたいように書いているこのブログなんかは、さしずめ「記のみ記のまま」といったところかな。