何を読んでも何かを思いだす

人生の半分はフィクションでできている。

エマニュエル君

 

前回の記事で文通について書いた。

そのとき私は調子に乗って「文通とは……」みたいな知ったふうなことを書いてしまったのだが、実のところ、私は一度しか文通をしたことがない。(なのにエラソーなことを言ってしまった。なんかすいません)

その一度というのは高校生の時、相手はブラジル人だ。

 

彼の名前はエマニュエル君。(ポルトガル語の発音は知らない)ブラジルに住む(当時)学生だ。

ある趣味の雑誌の文通希望欄に掲載されていたので、私の方から手紙を書いた。私より2、3歳上だったと思う。

引っ込み思案というか、とにかくめんどくさがりの私が、よく自分からそんなことをしたものだ。好奇心に加えて、英語の勉強にでもなればと思ったのだろうか。

 

最初の手紙にどんなことを書いたのか、まったく覚えていない。たぶん普通の自己紹介的なことだったと思う。

とくに英語が好きでも得意でもなかったので、簡単な文章でもかなり苦労したはずだ。とにかく間違えないようにという気持ちで、中学生の英語の教科書のような、正確だけどどこか不自然な文章だったのではないかと思う。

 

実はこの記事を書くために家の中の心当たりを探してみると、なんと当時の手紙が見つかった。(私の家で探し物が見つかるのは奇跡的なことだ) 

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封筒のふちどりも黄色と緑のブラジルカラー

中の手紙の文面から考えると、どうやらこれは2通目の手紙に対する返信らしい。その前の手紙で私は、大学に合格して某地方都市に引っ越し、独り暮らしを始めたことを報告したようだ。この返信にはそれに対するお祝いの言葉があり、彼自身の大学生活のことや、今は卒業試験に向けてがんばっているといったことが書かれている。

彼の方も英語が母語ではないので、そう難しい文章ではない。いや、ひょとすると、私の英語力に合わせて易しい言葉を選んでくれたのかもしれない。

 

そんなふうにして、たあいのない内容の手紙を3度ほどやりとりしたのだが、どちらからともなくやめてしまった。

向こうは忙しいのだろうし、私の方は忙しくはないけれど、正直に言えば、ちょっとめんどくさくなっていた。

共通の趣味があるはずだったのだが、彼の方はそんなに熱心というわけでもなく、そのことで話が盛り上がらなかったのも続かなかった理由だと思う。

しかしよく考えると、失礼な言い方だが、私はそれほどエマニュエル君に興味がなかったのかもしれない。

たぶん当時の私にとっては、文通相手がどんな人間かということよりも、遠い外国から自分宛に手紙が届くという、そのこと自体がおもしろかったのだと思う。

本当に相手のことを知りたいと思っていたら、もう少し内容のあるものになっていたかもしれない。そう考えると、ちょっと残念だ。

 

あれから30年……。(きみまろ調)

いたずらに馬齢を重ね、私はいいオッサンになってしまった。

エマニュエル君もブラジルのいいオッサンになっただろうか。

昔、日本の青年と手紙を交わしたことを、いまも覚えているだろうか。