何を読んでも何かを思いだす

人生の半分はフィクションでできている。

ご安全に

 

いつも利用している動画配信サービスで、アニメスーパーカブの再配信があったので全話視聴した。

2回目なのでいろいろとツッコミたくなるところもあったけれど、やっぱりいいアニメだと思った。丁寧な描写と、落ち着いた静けさが好きだ。

 

paperwalker.hatenablog.com

 

ところで、物語の本筋とはぜんぜん関係ないところで、ちょっと引っかかる言葉があった。

主人公の友だちが夏休みに富士山で物資の搬送のアルバイトをするのだが、そこで作業に入る時に、

「ご安全に」

という耳慣れない言葉を使うのである。これが気になった。

 

実は以前、別のアニメの中でこの言葉を聞いたことがあったのだ。

『宇宙(そら)よりも遠い場所』という私設の南極観測隊に参加する女子高生たちの物語で、これもとてもいいアニメだったのだが、その中で観測隊の人たちが作業に入る時にやはり

「ご安全に」

と言っていたのである。

そのアニメを見た時には「おや? 変な言葉だな」と思っただけで、それ以上気にもならずにスルーしていたのだが、今回もう一度聞いてにわかに興味を覚えたというわけだ。

 

ネットで調べてみると、「ご安全に」は製造業や建設業などの危険を伴う現場で使われている挨拶らしい。一種の業界用語である。

言葉の来歴ははっきりしている。戦後、ドイツを訪れた住友金属工業(現・日本製鉄)の社員が、現地の炭鉱夫が使っていた「Gluckauf (ご無事で)」という言葉を聞き、それを「ご安全に」という言葉にして昭和28年から自社で使ったのが始まりという。

そこから金属関係だけでなくいろいろな分野で広く使われるようになっていったのだそうだ。

朝礼やミーティングの終わりに「それでは今日も一日ご安全に!」といった感じで使ったり、作業員同士がお互いに言ったりするのである。

 

日本語としてなんとなく違和感があるような気もするが、それは単に耳慣れないせいなのか、それとも語法的におかしなところがあるのか、私には説明できない。

ネットを見ると、現場で使っていても違和感を覚えるという人もいたので、まあ、独特な言葉には違いない。

しかし違和感はあっても嫌な言葉ではない。

機会があったら私も一度使ってみたいけれど、そんな機会はないだろうなあ。

 



旧装開店

 

おひさしぶりです。

「ブログの夏休み」が終わったので戻ってまいりました。

なんだか新学期でひさしぶりに教室に入る時のような微かな緊張感があります。

 

怠惰な私のことなので、このままいなくなってしまうのではないかと思っていたのですが、自分でも意外なことにちゃんと戻ってきました。

たぶん「1ヶ月」と期間を決めていたのがよかったのでしょうね。これが「当分」とか「しばらく」といって休んだら、再開しようと思っても「うーん、もうちょっと」とか「あと少し」とか寝起きの悪い人みたいなことを言って、ずるずると二度寝の沼に沈んでいたかもしれません。

仕事はお盆過ぎぐらいから平常運転になっていたので、逆にブログを書く余裕はあったのですが、1ヶ月休むと宣言したのできっちり今日まで休んでました。そういうところが無駄に律儀。

 

しかし、休んでいた分いまは書きたい気持ちが溢れているかといえば、それもちょっと微妙なところで。こうしてまた書いているのだから、書きたい気持ちがまったくないわけではないのですが……。

なんというか、自分でも気がつかないうちに書くことのハードルを上げすぎてしまったのかなとも思います。もっともこれはあくまでも気持ちの問題で、実際に書かれた文章がそのハードルの高さに見合っているかどうかは別の話です。

もっと肩の力を抜いて、楽な気持ちで書いた方がいいのかもしれない。

でもやっぱり、あんまり気の抜けた文章を書くわけにはいかないという気持ちもありますし。(あくまで気持ちです。実際に書かれた文章は……)

高からず低からず、自分にとってちょうどいい感じの書くことのハードルってどのくらいの高さなんだろう。あるいは書くことに対する適度な抵抗感というか。

 

まあ、そんな抽象的なことをうだうだ言ってても始まらないので、とりあえず書きながら考えましょうかね。

以前より更新ペースは落ちるかもしれませんが、内容はまったく変わらない「旧装開店」、変わらぬご愛顧のほど、よろしくお願い申し上げます。

 

 

 

今月は「夏休み」にしようと思います

 

唐突ですが、今月はブログの「夏休み」にしようと思います。

 

いや、もう、心底疲労困憊しているのですよ。

仕事が例年以上にハードで、毎日クタクタのヨレヨレになって、まるで冷蔵庫に入れっぱなしだったほうれん草のように……って、3つ前の記事で使った比喩を使い回してしまうほど疲れているのです。

ブログを書こうっていう気力が湧きません。

 

いや、もうちょっと正直に言うと、たしかに疲労もあるけれど、もっと根本的なところで、文章を書きたいという欲求が減退しているような気がするのです。

いわゆるネタはあるのですが、言葉を組み立てて文章にするのが億劫というか、しんどいというか。

こう言うと、「お前の『書くこと』に対する気持ちはその程度か」と思われるかもしれませんが、生きる上での根源的な欲求である「食欲」でさえ減退することがあるのですから、書きたいという欲求が萎えることだってあるでしょう。

プロであれば、そこから乾いた雑巾をしぼるようにして言葉を綴るのでしょうが、私にそんな気力はありません。

 

というわけで、リフレッシュするためにここでちょっと一休みすることにします。

3年続けてきて、1ヶ月も休むのは初めてなので、いろいろと不安もあるのですが、これも一つの実験だと思うことにしましょう。

まあ、『ワンピース』の尾田先生だって1ヶ月ぐらい休んでましたし、たまにはいいかな。(零細ブログの分際で誰と比べてるんだか……)

もっとも、次の記事から「最終章」に突入ってわけではありませんけど。

 

というか、1ヶ月後にちゃんと帰ってこれるのかな……?

 

 

友だちの時間

 

鶴谷香央理『メタモルフォーゼの縁側』(全5巻、角川書店、2018 - 21)を読んだ。

 

 

昨年完結した漫画だが、今年映画化(実写)されたのでそれに合わせて増刷されたらしく、近所の書店の「メディア化コーナー」に全巻並んでいた。

ぜんぜん知らない漫画だったけど、なんとなくおもしろそうな気がして1巻を買って帰り、翌日残りの巻を買って結局最後まで読んだ。

おもしろい! という感じの漫画ではなくて、うまく言えないが、ちょっととらえどころがないような、でも気になる漫画だった。(以下、いわゆるネタバレを含みます)

 

市野井さんは今年75歳になる女性で、自宅で書道教室をしながら一人で暮らしている。

あるとき、なにげなく入った書店でなんとなく一冊の漫画を買う。その漫画(BL)をきっかけに、書店でアルバイトをしている高校生・佐山うらら(17歳)と知り合いになる。

うららはちょっと人見知り気味の女の子で、あまり同年代の友だちがいない。今風の言葉で言えば「陰キャ」ということになるのか。趣味は漫画で、とくにBLが好きなのだが、そういう話で盛り上がれる友だちもいない。

そんなうららと市野井さんは漫画の話で意気投合し、たびたび会って話をするようになる。市野井さんの家で「会合」したり、一緒に同人誌の即売会に行ったり、ついには二人でコミティア(大規模な同人誌の即売会)に出店したり……。

 

市野井さんは好奇心旺盛で行動力がある。引っ込み思案なうららの背中を押してあげたり、手を引いてやったりする。精神が若々しい。

しかし、日々の生活の中では自分の「老い」を感じることも多くなっている。そういうところがちゃんと描かれているのがいい。75歳には75歳の世界がある。

うららは進路のことで悩んだり、幼なじみの男の子が彼女と一緒に歩いているところを見て複雑な気持ちになったり、やっぱり17歳の女の子らしいところもある。17歳には17歳の世界がある。

普通ならたぶん交わることのない二つの人生が、(同じものを)「好き」という気持ちを共有することで交わっていく。

 

二人の関係をなんと言えばいいのだろう。

市野井さんは他の人にうららのことを説明するときに「友だち」という言葉を使う。たしかに他に説明のしようがない。

75歳と17歳の友情。

 

考えてみれば「友だち」という関係はけっこう曖昧なものだ。「家族」や「恋人」のようにはっきりとした《枠》があるわけではない。いつから「友だち」になったのかもはっきりしないことの方が多い。

話はちょっと逸れるけど、以前見たアニメで、友だちの作り方がわからないという女の子が出てくるのがあって、友だちになった証拠に「誓約書」を書いてくれと言って相手の子に呆れられるという場面があった。馬鹿馬鹿しいようだが、その子の不安もわからなくはない。

そのくらい「友だち」というのは曖昧で形のはっきりしない関係なのかもしれない。

 

「友だち」の始まりは曖昧だけど、終わりもまた曖昧である。

はっきりと絶交するような終わり方もあるかもしれないが、たいていはいつのまにか疎遠になってそれっきりということが多いのではないだろうか。

物語の最後、市野井さんは娘夫婦が暮らす海外に長期の旅行に行く。ただの旅行ではなく、「お試し同居」ということなので、そのままそこに移住するかもしれない。

いまの時代、海外に居ても簡単に連絡を取り合うことはできるけれど、実際に会うことはやっぱり難しい。

ひょっとしたら市野井さんとうららはもう会えないのかもしれない。(年齢もあるし)

お互いの新生活に忙しく、だんだん疎遠になってしまうのかもしれない。

 

しかし、たとえ疎遠になったとしても、二人が同じものに夢中になって、語り、笑い、一緒にいた時間は、消えてなくなるわけではない。

その時間はそれぞれの人生にたしかに刻まれている。

誰かとそんな時間が持てたことは幸せである。

友だちがいない私が言っても、あまり説得力はないけれど。

 

 

3つ数えろ

 

突然 IDコールを受けて何事かと思ったら、まりさん(id:ymaria53)からお題のバトンが回ってきたのだった。

今週のお題「最近あった3つのいいこと」

「3つのいいこと」ねぇ……。なにかあったかな。

私は根がネガティブなので、あまり「いいこと」を数える習慣はないのだが……。

 

とりあえず1つ目の「いいこと」は、帯状疱疹が治ったことである。

前々回の記事で書いたように、今月に入って帯状疱疹ができていたのだが、数回の通院と飲み薬でけっこうあっさり治った。症状自体もそれほど酷いものではなかったし、後遺症(痛みが残る場合がある)もないので、まあよかった。

 

2つ目は、ずっと気になっていた漫画を大人買いしたことだ。

買うかどうか長いこと迷っていたのだが、「漫画ぐらい大人買いできないようでは、大人になった甲斐がない!」と意を決して買ったのである。大人なんだか、子どもなんだか……。

まあ、全部で十数巻の漫画なので、これを買ったからといって明日からご飯にふりかけだけの生活になるわけではないけど。

 

3つ目の「いいこと」は、次の記事でブログの記事が300になることかな。

3年と4ヶ月でようやく300である。毎日更新している人なら1年もかからないのだろうけど、ドジでノロマな亀(若い人わかるかなあ)の私にしては上出来である。

もっとも量より質のほうが問題なのかもしれないが。

 

最近あった「いいこと」といったらこんなことしかない。

われながら地味というか、しょぼいなあと思うのだけど、しょぼい生活をしているのだから仕方がない。

まあいいか。

特別な「いいこと」はいらない。

今日という日を大過なく過ごせれば、それが一番「いいこと」なのである。

 

 

下方修正の休日

 

いま仕事が夏季繁忙期の真っ最中で、毎日クタクタのヘトヘトになっている。冷蔵庫に入れっぱなしだったほうれん草のように萎れている。

そんなほうれん草、ではなく、私にとって、休日こそは唯一のオアシスであり、労働で干涸びた心身に潤いを回復させる時間である。

 

休日の前の夜には、明日はあれをしよう、これもしなければといろいろと考えて、5つぐらいのリストを作っておく。

せっかくの休日なのだから、ちゃんと計画を立てて、充実した有意義な時間を過ごしたいと思う。

しかし実際に休日になると、そんな予定や計画はまったく意味を成さなくなる。

 

 

まず起きる時間が遅い。目を覚ました時点で、

「あー、今日5つ全部やるのは無理だな。あれは急がなくてもいいから、ほかの4つを片付けてしまおう」

といきなり下方修正する。

しかし、その後もだらだらと動画を見ているうちにあっという間にお昼になる。昼ご飯を食べると体も気持ちも重くなって、

「うーん、これから4つやるのはしんどいなあ。あれは次の休みにして、ほかの3つ、これだけは今日のうちにやっておこう」

と再び下方修正する。

もうおわかりだろう。こうして下方修正を繰り返し、終わってみれば結局何一つ片付いていないという、いつもの残念な休日ができあがるのだ。

私の休日の計画というのは、決して実現しない「絵に描いた餅」なのである。

 

いや、一つだけできたことがあった。

それは「ブログの記事を書く」ということ。

つまり、あなたがいま読んでいるこの記事を書いたことである。

こんなことを「できたこと」に数えるのは自己欺瞞のような気がしなくもないが、うん、まったく何もしなかったわけじゃない、ということにしておこう。

 

 

帯状疱疹(2回目)

 

人生で2回目の帯状疱疹になった。

 

先週、背中の方に痒みというか、少しヒリヒリするような違和感を感じた。

なんだろうと思って鏡を見たら、左の肩甲骨の下辺りから脇腹にかけて広範囲に肌が赤くなっている。かろうじて右手が届いたところを触ると、少し凸凹した感じがする。

最初は虫に刺されたのかと思った。自慢ではないが、私の寝床にはダニぐらいなら普通にいる。

しかし、虫刺されにしては範囲が広いし、背中の左側だけというのも不自然だ。

そこでピンときたのが「帯状疱疹」である。

 

実は10年ほど前、40代の初めの頃に一度帯状疱疹になったことがあるのだ。

その時もやはり虫刺されだと思って皮膚科を受診したら、帯状疱疹と言われて驚いた。それで一週間ぐらい通院し、その間にいろいろな知識を得たのである。体の左右どちらか片方にしか症状が現れないというのもその時知った。

ちなみにその時は頭の左側(側頭部から後頭部にかけて)に症状が現れた。いまみたいに坊主頭じゃなかったから目立たなかったけど。

なんとなく帯状疱疹は一度なれば二度はならないというイメージがあったのだが、ネットで調べてみるとそういうわけでもないらしい。

加齢やストレス、疲労などによって免疫力が低下するのがその原因で……なるほど、思い当たるフシがある。というか、思い当たるフシしかない。

 

(「医者からもらったパンフレット」……って「パパからもらったクラリネット」に似てる)

 

今回も10年前と同じ病院に行って、結果やっぱり帯状疱疹と言われた。

思った通りだったので涼しい顔をしていたのだが、その年齢で2回目というのは珍しいとも言われた。さらに先生は、頻繁に帯状疱疹になるようだったら、免疫機能自体になにか問題があるのかもしれないよ、まあ、10年間隔があいているから大丈夫だと思うけどね……などと不穏なことを言いだす。

とにかく患部に軟膏を塗ってもらい、飲み薬を処方してもらう。薬も進化していて、前のよりもよく効くようになっているらしい。

今回の場合、見た目はけっこうひどいことになっているけれど、痛みや痒みというのはそれほどでもないので、痛み止めは出してもらってない。帯状疱疹は、ひどい場合には痛みや痒みで夜も眠れなくなったりするらしいので、私のは比較的軽いやつだったのだろう。

 

薬局に行って処方箋を見せ、待つことしばし、薬剤師さんが申し訳なさそうに「ちょっと高いお薬なんですけど……」と言って薬を出してくれた。

飲み薬は1日1回(2錠)で、これを7日間飲まなければならないのだが、計算すると1回分が800円ぐらいになる。たしかに高い。

これに数日分の病院の受診料を合わせると、ざっと1万円近くのお金が飛んでいく……。

帯状疱疹は痛くないけど、これはイタいなあ……。