何を読んでも何かを思いだす

人生の半分はフィクションでできている。

ブログと広告

 

ときどき「自分のブログに貼られる広告が嫌なので、無料版から有料版(pro)に変えた」というような記事を見かける。

そういうのを読むと「そういえば自分の記事にも広告あったな」と思い出す。普段はぜんぜん意識していないし、無頓着だ。

あらためて自分の記事ページを見てみるが、意識して見てもやっぱりそれほど気にならない。

ブログに収益を期待しているかどうかによっても考え方が違ってくるのだろうと思うが、私としては、あの程度の広告ならあってもぜんぜんかまわない。

内容はもちろん記事とは無関係だが、「節度」ある広告なら問題ない。

むしろ広告があった方がおもしろいような気もする。

 

私は無料版の広告は一種の「所場代」だと割り切っている。

タダでブログサービスを使わせてもらっているのだから、こちらとしても何かちょっとはお役に立ちたいという殊勝な気持ちがなくもない。

まあ、残念なことに、それほど人が来ないのであまり役に立っているとはいえないが。

田舎の道路脇にポツンとある看板広告みたいな……。

 

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もうひとつ、最近ちょっと思うのだが、私はブログを雑誌みたいなものと考えているのかもしれない。

つまり「はてなブログ」全体が一つの大きな雑誌で、私のブログはその中の連載コラム(そんなカッコイイものではないが)のひとつ、みたいな感じ。

雑誌であれば、記事のページに内容と無関係な広告があるのは普通のことだ。だから私は広告がそれほど気にならないのではないか、と思ったりする。

ブログを自分で「運営」 していると考えるよりも、雑誌に「寄稿」していると考える方が私の性に合っているような気もする。

 

いや、まあ、「だからどうした?」と言われても困るし、「そんなの知らねーし」と言われれば、そうですねとしか言えないが……。

 

さて、今日の広告は?

↓↓  たまには広告にも注目しましょう。

 

 

金魚屋古書店

 

駅の方から川沿いの長い道を歩いてくると、左手に一軒の古本屋が見えてくる。

昭和の雰囲気を色濃く残したその店の名前は金魚屋古書店。漫画専門の古本屋だ。

引き戸を開けて中に入ると左手すぐに帳場があって、ショートカットが似合う店長代理の菜月さんか、居候で店員の斯波(しば)さんが座っている。(ときどき居眠りをしている)

二人がいない時には、常連さんが店番をしていることもある。

店内は人が10人も入れば身動きできなくなるぐらいの広さで、入り口以外の壁を本棚が占めている。しかしめちゃくちゃ本が多いという印象はない。

もし何か探している漫画があって、それが店内に見当たらなかったとしても、がっかりして帰ってはいけない。店番の人にその漫画の名前を言ってみよう。その人はたぶん「ちょっと待ってて」と言って店の奥に消えていくだろう。いや、運が良ければあなたも連れていってもらえるかもしれない。

 

奥の部屋には地下へと続く階段があって、店の人はさっさと降りていく。あなたは恐る恐る後に続く。

地下の薄暗さに目が慣れたとき、あなたはきっと息を飲むだろう。

天井に届くほど高く大きな本棚が整然と並び、それがいくつもの通路をつくっている。通路の果ては闇に吸い込まれていて見えない。いや、果てなどないのかもしれない。そしてそのすべての本棚に本が収まっている。いったいどれだけの本があるのか、たぶん誰にもわからない。

あなたは我知らずこう言うだろう。

「これ、ぜんぶ漫画の本ですか……?」

初めてここ、金魚屋古書店の地下、通称「ダンジョン」を訪れた人は異口同音にそう言う。

「ええ、ぜんぶ漫画です」

店の人はこともなげに答える。

あなたはすこし怖くなる。無限とも思える漫画の量に圧倒される。漫画という形をとって紡がれてきた人間の想いに圧倒される……。

 

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今月(2020年6月)芳崎せいむ金魚屋古書店小学館)の最終第17集が刊行される。

第16集の刊行が2014年だから、実に6年ぶりのことだ。

 

金魚屋古書店』は「月刊IKKI」という漫画誌に連載されていたのだが、同誌は2014年11月号をもって休刊。連載されていた漫画の中には新雑誌に引き継がれるものや他誌に移籍するものもあったのだが、『金魚屋』はどちらでもなかった。ただ、作者のブログで第17集を執筆していることが告げられていた。

しかし、待てど暮らせど新刊の告知はなかった。

私は諦めていた。こういうことは、ままあることだ。残念だけど、仕方がない。

そこに6年ぶりの新刊の情報だ。「晴天の霹靂」とはこういう時に使う。

 

驚きの後には喜びが続いたけれど、その後には一抹の寂しさが続いた。

作品にとっては、宙ぶらりんの未完状態よりはきっちり完結した方がいいに決まっている。それはわかっているのだが……。

もしかしたらどこかの雑誌でひょっこり連載が再開されたりするかも……という淡い期待が心のどこかにあったのだが、完結してしまえばその可能性はゼロになる。これ以上新しい物語が描かれないというのは、やっぱり寂しい。

 

いや、寂しく思うことなどないのかもしれない。

手元に本さえあれば何度でも読み返すことができる。

本を開けば、いつだって金魚屋古書店はそこにある。

 

と、思いたい。

 

今週のお題「好きなお店」

 

 

結婚の条件

 

また婦人雑誌の付録を買ってしまった。

今回のはずっと時代が新しく、昭和40年代のものなのだが、そのテーマがおもしろい。

婦人公論』8月特別号付録『全国一流企業150社 独身男性情報』(1972)というものだ。

 

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結婚生活は愛情だけではやっていけない。経済的な裏付けが必要だ。そのためには、(将来の)結婚相手がどんな会社に勤めているかを知る必要がある--というのが、この小冊子の趣旨だ。

本文では、1ページにつき1企業が紹介されていて、まずは会社の概要や社風、大卒初任給や各種の手当、福利厚生などについて細かく記述されている。欄外にも給与や労働条件の基本データ、なぜか社員食堂の定食の値段まで記載されている。

 

さらに若い男性社員へのインタビューもあって、そこでは彼らの結婚観や女性観などが語られているのだが、これがなかなかおもしろい。

例えば「旭化成工業」に勤める独身男性社員E氏(東京本社プラスチック事業部勤務29歳)はこんなことを言っている。

 

年齢的にそろそろとは思ってるけど、なにしろ、食わせられなきゃあね。理想の女房像? なんたって、丈夫で長保ちする、鷹揚な女性‥‥。サラリーマンの女房はこの一言につきますよ。ベタついたホレ方はする必要ないと思うけど、アキの来ない程度の好きさ加減があれば‥‥ハハ。

 

なんかすごい上から言ってるなあ。いまこんな言い方したら炎上必至のような気がする。

また、「主婦の友社」の独身男性社員I氏(生活課勤務24歳)は、

 

まず、ウーマン・リブ的女性は絶対にいやですね。自分の信念は持っていて、それでいて、だまって男を立ててついてきてくれる女が理想。真に男と同等をいうなら、主体性をなくさず、黙って静かにいつの間にか、なんでもやっているような女‥‥

 

などと、都合のいいことを言っている。 さらに「緑屋」という会社(店?)の独身男性社員I氏(伊勢佐木町店勤務24歳)にいたっては、

 

 結婚? というよりもそもそも女という存在ですけどね、女は男のためにあるというのがボクの持論なんですよ。仕事は完全に男の世界ですからね、女はそれ以外のところで男に仕えるもんだと思うんです。

 

わ、私が言ってるんじゃないですよ。文句はI氏に言ってください。

まあ、上の引用はちょっと極端な発言を選んだのだが、時代の雰囲気というものが伝わってくる。

 

結婚相手の会社のことをあれこれ調べるというのは、現在から見ればいささか打算的すぎるようにも思える。しかし当時と今とでは、家庭にとっての会社の「重み」が違うような気がする。会社への依存度が高いというか。

こういう婦人雑誌の企画を見ると、当時の女性にとって結婚相手の会社というのは現在よりもずっと重要な結婚の条件だったのではないかと思う。

 

  

カップ麺の話

 

ときどきスーパーで、年配の男性がカゴいっぱいにカップ麺を買っているのを目にする。

そういうのを見ると、余計なお世話だとはわかっているが「わびしいなあ……」と思ってしまう。まあ、そういう私のカゴにも2、3個入っているので、人のことは言えないのだが。

 

子どもの頃はあまりカップ麺を食べなかった。

当時はまだ袋麺の方が主流だったということもあるのだが、働いている母に代わって祖母や姉がちゃんとご飯を作ってくれたので、食べる機会があまりなかった。即席麺は小腹がすいた時のおやつみたいな感覚だった。

それが「主食」の座を占めたは、やはり一人暮らしを始めてからだ。

一応自炊を心がけてはいたものの、やっぱり作るのも後片付けもめんどくさい。かといって弁当は高い。となれば必然的にカップ麺になってしまう。まだ若かったので健康のことなんか考えない。とにかく腹いっぱいになれば良し、という感じだった。

最近ではさすがに健康が気になって、昔ほど頻繁には食べないけれど、それでも週に1、2食は食べているような気がする。

特に新しい味の商品が発売されると、どんなものだろうと思ってついつい買ってきてしまう。

やっぱり老人になっても食べていそうな気がする。

 

それにしても、次から次に新商品が発売される。

山本利夫『即席麺サイクロペティア 1  カップ麺〜2000年編社会評論社、2010) を見ると、多種多様なカップ麺が作られてきたことにあらためて驚く。

 

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著者の山本さんは1960年生まれ。大学生の頃から食べた即席麺の袋やカップ麺のフタを保存・収集してきたという。この本では、そのカップ麺のフタを図鑑のように網羅していて、その商品のデータを記録している。

 

即席ラーメンの世界では多くの商品が華やかに誕生しても、その大半はすぐに消えていってしまってそこはかとなき儚さを感じてしまう。私が袋やカップのフタを保管しておこうと思った動機の一つは、これらの商品がある一時市場で輝く存在であった証を少しでもハッキリと記憶に残したいという想いからだ。(p.130)

 

こういう謎の使命感(?)がいい。

私はこういった身の周りにあるチープな物の図鑑みたいな本が好きだ。パラパラと眺めているだけでも楽しいし、風俗資料としても価値があるように思う。

この本ではロングセラーの定番商品はもちろん、「あ、これ食べたことある」とか「そういえばこんなのあったなあ」という懐かしいものもあり、また見たこともないカップ麺もたくさん紹介されている。

しかも著者はデータだけではなく、麺やスープについて実際に食べた批評を加えている。そこに著者の時間と経験の蓄積が感じられる。ネットなどで短時間にデータを収集したのではなく、長い時間をかけて積み重ねられた仕事というのは独特の「味わい」がある。それがいい。

ちなみにこの本には続編の「2」があって、そこでは日本と外国の袋麺が紹介されているらしい。こちらも見てみたい。

 

なんか腹減ってきたなあ……。

 

  

遠きにありて

 

もう何度も書いているけれど、私は大学進学にともなって実家を離れた。

帰省するのはだいたい盆と正月の2回だけで、それも3、4日実家に滞在すると、もういいだろうと言わんばかりにさっさとアパートに帰っていった。実家にいてもやることはなかったし、なんといっても気詰まりだったからだ。

大学がある地方都市は隣県で、距離はよくわからないが、帰省に要する時間はだいたい4時間ぐらい(電車は「普通」を利用し、乗り継ぎの時間を考慮しない場合)だった。それほど遠いというわけではない。

ただ、物理的には遠くなくても、心理的には遠かった。

その方が良かったのかもしれない。

 

  ふるさとは遠きにありて思ふもの

  そして悲しくうたふもの

  よしや

  うらぶれて異土の乞食(かたゐ)となるとても

  帰るところにあるまじや

 

国語の教科書でもよく見る、室生犀星「小景異情」の一節だ。

私にとってこの言葉は、 詩を超えて、ほとんど真理とさえ思われる。

 

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いま、私は「ふるさと」に戻ってきて、そこで生活している。

客観的に見れば、ここでの生活はそう悪いものではないのかもしれない。実際にアパートの家賃も払えない「異土の乞食」のような生活をしていたこともあるので、それに比べればいまの生活は(貧乏なりに)安定している。

しかし、そんな「ふるさと」を息苦しく感じることがあるのはなぜなのか。


やはり「ふるさと」は遠くにあってもらいたかった。

遠くにあれば甘くて苦い〈郷愁〉に浸ることもできただろう。

〈郷愁〉とは「ここ」ではない「どこか」、「いま」ではない「いつか」へのあこがれなのだ。「ふるさと」が「いま・ここ」になってしまったら、もう〈郷愁〉の対象ではなくなってしまう。

だから「ふるさと」は遠くになければならないし、実際に帰るべきところではないのだ。

それは「帰りたい」という願望の中にだけ存在すべき場所なのだ。

 

 今週のお題「遠くへ行きたい」

 

 

婦人雑誌の附録の広告

 

こんなものを買ってみた。

『婦女界』新年号附録『昭和日常社交礼法』(1928)

 

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主に既婚の女性を読者対象にしたいわゆる「婦人雑誌」は明治時代からあったが、同様の雑誌が増えるにつれて競争が激しくなっていった。そこで各誌が他誌との差別化を図るために力を入れたのが「附録」の小冊子だ。

(きちんと調べたわけではないけれど)そこで取り上げられているテーマは、服飾、料理、冠婚葬祭のマナー、手紙の書き方といったものが多いように思われる。

 

今回買った冊子は、日常生活における人付き合いのマナー(よその家を訪問する時の心得、贈答の心得、会食のマナーなど)についてのマニュアルなのだが、実はその本文よりも、掲載されている広告が興味深かったので紹介したいと思う。

その広告がこちら。

 

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「乳バンド」「乳カバー」だ。 

そういえば、亡くなった祖母(明治生まれ)がブラジャーのことを「乳バンド」と呼んでいたのを思い出す。

上のイラストでは「乳バンド」と「乳カバー」の違いがよくわからないが、説明文を読むと、「乳カバー」には母乳漏れのための機能が付いていたのだろうか。

昭和初期だと、女性の和装と洋装の割合はどんなものだったのだろう。年齢や既婚かどうか、都会と田舎でも違いがあるはずだから、一概には言えないが、和装から洋装への過渡期であったことは確かだ。

もう一点、こんな広告もあった。

 

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「洋髪みの」というものだが、初めて聞く名前だ。 

イラスト(ちょっと顔が怖い)ではよくわからないが、要するに、現代でいうウィッグのようなものか。上からすっぽり覆いかぶせるので「みの」(簑)なのだろうか。

当時は服装は和服でも、髪型は洋髪という人も多かったのではないかと思う。上の小冊子の表紙のイラストの女性もそうだ。

男性でも「ざんぎり頭」が文明開化の象徴のように言われたのだから、女性も服装よりまずは髪型から洋風になっていったということなのだろう。考えてみれば、この逆のパターン、つまり服装が洋服で髪型が日本髪というのはちょっとありえないと思うので、〈髪→服〉というのが西洋化の自然な流れということか。

 

この冊子にはほかにも白粉やら美容液やらの広告が掲載されている。 

なんというか、女性はいろいろたいへんですな。

 

 

会いたいけれど、会いたくない

 

はてな今週のお題が「会いたい人」ということだったので、自分にいま会いたい人なんているだろうか、と考えてみた。

……いないこともない。けれど、それは同時に、あまり会いたくない人でもある。

というのも、私の場合、会いたい人というのはたいてい「会ったら謝らなければならない人」だからだ。

 

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何度か書いているけれど、私は大学に進学するにあたって実家を出て、某地方都市で一人暮らしを始めた。そして卒業後もそこに20年ほど住み続け、10年ぐらい前に実家に戻ってきた。

実家に戻るにあたってはさまざまな葛藤があった。好きで戻ったわけではなく、戻らざるを得ない状況になったのだ。その葛藤の中で、だいぶ精神的に追い詰められていたように思う。

それで、いよいよ帰らなければならなくなったとき、私は友人や知人に何も言わずにその土地を去ったのだ。

私は社交性というものが限りなくゼロに近い人間だけど、それでもわずかながら知人といえる人たちがいたし、2、3人は友人と呼ぶにやぶさかではない人もいた(向こうがそう思っているかどうかは別にして)。いろいろと良くしてもらったり、世話になった人たちだ。

そういう人たちに、私は別れの挨拶さえせずにアパートを引き払った。自分の気持ちを整理するだけでいっぱいいっぱいで、友人のことを考える余裕がなかったのだ。その結果、随分な「不義理」をしてしまった。友人には後で事情を説明した手紙を書いたのだが、どう思っただろうな。友だち甲斐のない奴だと思ったに違いない。当然だ。

そしてそれ以来連絡をとっていない。

 

いまごろどうしているだろう、とたまに思うことがある。会ってみたいような気もする。しかし、会ったらあの時の不義理を謝らなければならない。素直に謝ることは、いくつになっても難しい。

いや、正直に言えば、どんな顔をして会えばいいのかわからないのだ。合わせる顔がないというか。

会ったとしても気まずいだろうな。その気まずさが一時的なもので、しばらくしたらまた昔のように気の置けない間柄になれればいいけど、それはどうだろう?

それならもう、お互い「過去の人」ってことでいいじゃないか、とも思う。 

 

会いたいような、会いたくないような……。

  

今週のお題「会いたい人」