何を読んでも何かを思いだす

人生の半分はフィクションでできている。

婦人雑誌の附録の広告

 

こんなものを買ってみた。

『婦女界』新年号附録『昭和日常社交礼法』(1928)

 

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主に既婚の女性を読者対象にしたいわゆる「婦人雑誌」は明治時代からあったが、同様の雑誌が増えるにつれて競争が激しくなっていった。そこで各誌が他誌との差別化を図るために力を入れたのが「附録」の小冊子だ。

(きちんと調べたわけではないけれど)そこで取り上げられているテーマは、服飾、料理、冠婚葬祭のマナー、手紙の書き方といったものが多いように思われる。

 

今回買った冊子は、日常生活における人付き合いのマナー(よその家を訪問する時の心得、贈答の心得、会食のマナーなど)についてのマニュアルなのだが、実はその本文よりも、掲載されている広告が興味深かったので紹介したいと思う。

その広告がこちら。

 

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「乳バンド」「乳カバー」だ。 

そういえば、亡くなった祖母(明治生まれ)がブラジャーのことを「乳バンド」と呼んでいたのを思い出す。

上のイラストでは「乳バンド」と「乳カバー」の違いがよくわからないが、説明文を読むと、「乳カバー」には母乳漏れのための機能が付いていたのだろうか。

昭和初期だと、女性の和装と洋装の割合はどんなものだったのだろう。年齢や既婚かどうか、都会と田舎でも違いがあるはずだから、一概には言えないが、和装から洋装への過渡期であったことは確かだ。

もう一点、こんな広告もあった。

 

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「洋髪みの」というものだが、初めて聞く名前だ。 

イラスト(ちょっと顔が怖い)ではよくわからないが、要するに、現代でいうウィッグのようなものか。上からすっぽり覆いかぶせるので「みの」(簑)なのだろうか。

当時は服装は和服でも、髪型は洋髪という人も多かったのではないかと思う。上の小冊子の表紙のイラストの女性もそうだ。

男性でも「ざんぎり頭」が文明開化の象徴のように言われたのだから、女性も服装よりまずは髪型から洋風になっていったということなのだろう。考えてみれば、この逆のパターン、つまり服装が洋服で髪型が日本髪というのはちょっとありえないと思うので、〈髪→服〉というのが西洋化の自然な流れということか。

 

この冊子にはほかにも白粉やら美容液やらの広告が掲載されている。 

なんというか、女性はいろいろたいへんですな。