徳川家康の側室にお梶の方という女性がいる。
ある時、家康が家臣たちと話をしていて、唐突に、
「一番うまいと思う食べ物は何か?」
と尋ねた。すると家臣たちは口々に「あれがうまい」「いやいや、これが一番だ」と言い合った。他愛のない雑談である。
家康は側に居たお梶の方にも同じことを尋ねた。するとお梶の方は、
「それは《塩》でございます」
と言った。意外な答えにその意味を問うと、お梶の方は、
「どのような料理でも塩気がなければおいしくなりません」
と答えた。家康はさらに続けて、
「では一番不味いものはなんだと思うか?」
と問うた。するとお梶の方は、
「やはり《塩》でございます。塩気が強すぎるとどのような料理も不味くなります」
と答えたという。
それを聞いた家康は「もしお梶が男であったら、きっと立派な大将になっていたに違いない」とその才気を惜しんだ……という(だいたいこんな感じの)話が、お梶の方の聡明さと勝気な性格(ちょっと嫌な感じ?)を表すエピソードとして伝わっている。『故老諸談』という書物に記されているらしい。
ちなみに私はこの話を隆慶一郎の『影武者徳川家康』(傑作!)で読んだ。
なんで急にこんな話をしているのかというと、先日食べた塩鮭があまりにも薄味だったからだ。
久しぶりにパックに入った切り身の鮭を買って焼いたのだが、ほとんど塩気が感じられなかった。間違って塩をふってないやつを買ったのかと思ってパッケージを確認すると、ちゃんと「塩」と書いてある。
世の中、健康志向で「減塩」なのはわかるけど、それにしたって塩気が薄すぎる。(高血圧で薬を飲んでる私が言うのもアレだが)
逆に、私が子どもの頃に食べていた塩鮭はずいぶん塩辛かったような気がするなあ……なんてことを考えていて、上記のお梶の方のエピソードを思い出したのである。
まあ、それだけの話なんだが……。
ふと思ったのだが、「塩」と「言葉」は似ているかもしれない。
どちらも加減ひとつで対象がうまくも不味くもなる。人間に不可欠なものでありながら、過剰に摂取すると(精神の)健康を害してしまう。
……いや、これはちょっと雑な比喩だな。