何を読んでも何かを思いだす

人生の半分はフィクションでできている。

昆虫幻想

 

ある夏の晩、仕事の帰りにコンビニに寄りました。

買い物を済ませ、バイクのエンジンをかけようとしたとき、なにげなく駐車場に停めてある車に目をやりました。そしてふと思ったのです。

「最近の車って、なんか虫っぽいなあ」

フォルクスワーゲンの「ビートル」を持ち出すまでもなく、車は甲虫類に似ています。しかも最近どんどん虫っぽさが増してるような気がします。


誰の短編だったか忘れましたが(星新一?)こんな話があります。

遠くから地球を観察していた宇宙人が地球に来て、この星の代表的な生物をサンプルとして捕獲するのですが、さっきまで動いていたそれはうんともすんとも言わず、彼らは困惑してしまう。彼らが捕獲したのは、無人の自動車だった--という話です。(うろ覚え)

なるほど、確かに遠くから眺めていれば、車が地球の主役のように見えるかもな、と思います。道路を規則正しく走っている車列は、アリの行列のように見えなくもありません。

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そう思ったとき、ふと、 逆もあるんじゃないかと思いました。

つまり、昆虫というのは実は《なにか》の乗り物なのではないか、ということです。

その《なにか》が何なのかはわかりません。それを考えだすと眠れなくなるのでそれ以上は考えません。とにかく《なにか》です。

その《なにか》は、自分では長距離を移動できないので、昆虫に乗って移動します。(どう「乗る」のかはわかりませんが)

その都度適当な昆虫に乗ることもありますが、なかには自分の専用虫を持っているものもあります。

 

「よお、久しぶり! あいかわらずコガネムシに乗ってんの?」

「そういうお前はカナブンか? お互いサエねーなあ」

「まあな。俺もそろそろ大衆虫じゃなくて、カブトムシみたいな高級虫に乗りたいよ。やっぱ『いつかはカブトムシ』だよなあ。ところでXXXがノコギリクワガタに乗ってたの知ってる?」

「うん。やっぱスポーツ虫はかっこいいよな」

「ところが、このあいだ人間に捕まっちゃって」

「マジで!?」

「まあXXXは無事だったんだけど、足がなくなったもんだから、いまはしょうがなく中古のカメムシに乗ってんだって」

「なにそれ? 超ウケる」

 

コンビニの誘蛾灯の周りを飛びながら、《なにか》たちはそんなことを話しているかもしれません。