何を読んでも何かを思いだす

人生の半分はフィクションでできている。

終わりよければ

 

昨年末、とても興味深く読んだ記事がある。 

news.denfaminicogamer.jp 

『ジャンプ』の編集長OBである鳥嶋和彦さんと矢作康介さんを含めた座談会で、『ジャンプ』に関する裏話や漫画論が盛りだくさんでおもしろく、また考えさせられる。

なかでも一番印象的だったのは鳥嶋さんのドラゴンボールをめぐる発言だ。

ドラゴンボール』は、いわゆる「黄金期」の『ジャンプ』の看板作品だったわけだが、それゆえに作者が自分の意思で連載を終了することができなかった。

鳥嶋さんは、「魔神ブウ篇」はやらせるべきではなかったが、自分は別の雑誌にいたのでどうすることもできなかったと言う。

「鳥山君を助けてあげられなかったのは、今もって悔いている」

とまで言っている。

 

人気が出れば出るほど簡単に連載をやめることはできなくなる。

いくら作者が終わらせたい、作品のためには終わった方がいいと思っても、編集部の方で終わらせてくれない。雑誌のためには一回でも長く続けさせたいわけだし、アニメやゲームといった要素が絡んでくるとさらに事情は複雑になる。

この辺りのことはバクマン。でも詳しく描かれている。(本当に教科書みたいな漫画だな)

 

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 「終わるべき時に終われなかった漫画」として真っ先に頭に浮かぶのは北斗の拳だ。

レジェンド級の漫画ではあるが、終わりの方は酷かった。

ラオウを倒した時点で終わっていれば完璧な名作になっていたはずだ。百歩譲ってカイオウを倒した時点でもいい。しかしその後がいけない。

まったく唐突にラオウの息子が登場し、しかし、あまりパッとしないとみるやあっさり退場。挙句の果てに、ケンシロウを記憶喪失にしてその「強さ」をリセットしたりと迷走を重ねたうえに、取ってつけたようにリンとバットをくっつけて終了してしまった。

あの当時、読者はみんな思っていたはずだ。

「『北斗の拳』よ、お前はもう死んでいる!

 

連載を始めることも難しいのだろうが、きちんと終わらせることもまた難しい。

終わり方次第で名作が「迷作」になることもある。

さて、『ワンピ……いや、なんでもありません。