何を読んでも何かを思いだす

人生の半分はフィクションでできている。

「問い」を見つける

 

高校まではよく勉強していたと思うが、大学に入ってからはあまり勉強したという実感がない。

といっても、遊びまわっていたわけではない。高校までの「勉強」と、大学以降のそれとでは性質が違うから、同じこととは思えないのだ。

 

高校までの勉強は基本的に試験のためのものだ。それは誰かが与えた「問い」に対して「答え」を出すという形式になる。

しかし大学での勉強は、まず自分で「問い」を見つけるところから始まる。自分が勉強したいことの具体的なテーマを探すといってもいい。

もちろん助言をしてくれる先生はいるし、それぞれの分野には先行研究があるわけだから、まったくの〈無〉から自分のテーマを立ち上げなければならないわけではない。それでも自分から動かなければ何も始まらない。

高校までの勉強が「受動的な勉強」だとすると、大学以降のそれは「能動的な勉強」といえるかもしれない。

 

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自分で「問い」を見つけることは、与えられた「問い」に答えることよりもめんどくさいし、ある意味難しい。しかし圧倒的に楽しい。高校までの勉強がつまらないからといって、勉強そのものがつまらないと思うのは早計だ。

大学に行ってないから(あるいは、卒業したから)そんな「問い」なんて関係ない、というわけではない。仕事はもちろん、日常生活の中にだって「問い」はいくらでも転がっている。ただ気がつかないだけか、気がついてもすぐに忘れてしまうだけだ。

その「問い」をおもしろいと思い、考え始めることができれば、そこから新しい世界が開ける(かもしれない)。

 

「問い」は一つだけでは終わらない。一つの「問い」が別の「問い」を呼び、また別の「問い」につながっていく。

問うことを学ぶと書いて「学問」だ。

ついでに言えば、何かを知れば知るほど知らないことが増えていく。逆説的だが本当のことだ。

だから学ぶことに終わりはない。

 

 

今週のお題「私の勉強法」

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by ギノ