何を読んでも何かを思いだす

人生の半分はフィクションでできている。

古本まつり

 

先日、とある「古本まつり」に行ってきた。

 

私は人がたくさんいる場所が嫌いなので、祭りと名のつくものには近づかないことにしているのだが、「古本まつり」だけは別だ。

最近では古本を買うのもネットが中心で、古本屋にもあまり行かなくなってしまった。「古本まつり」やデパートの古書展などにも長いこと行っていない。というか、毎週どこかで何らかの古本イベントがある東京と違って、地方ではイベントそのものが少ない。

今回私が行った「古本まつり」は、6つの古書店が参加・運営している小規模なもので、お寺を借りてやるらしい。

 

昼前に家を出る。地図で見るとだいたいバイクで1時間半ぐらいの距離だ。ちょっとしんどい。

バイクに乗っている時間はぼんやり考え事をするのに適していて(もちろん運転にも十分気を配っているが)嫌いではないけれど、一時間半も乗ってると首筋のあたりが痛くなって困る。今夜のご飯を水炊きにするかキムチ鍋にするか迷っているうちに目的地に着く。

お寺の「古本まつり」と聞いて、私はてっきり境内でやる青空市だと思っていたのだが、会場は小さなホールのようなところだった。

中に入ると、入り口の近くに机が置いてあり、椅子に年配の男性が座っている。今日の当番の古書店の人だろう。机上にレジはなく、電卓と手提げ金庫のようなものが置いてある。

男性に軽く挨拶をしてホールを見渡すと、先客はいない。ちょっとだけ緊張する。人混みは嫌いだけど、店の人と二人だけというのも少し気まずい。しかし考えてみれば、平日の昼間からのんきに古本を漁っている人間がそんなに多くいるわけもないか。

 ホールの中には、長机やワゴンを使って6つの「島」が作られていて、それぞれの店が本を並べている。入り口近くのところから一つずつ見ていく。本の量はそれほど多くなく、比較的新しいものが多い。しかし退屈はしない。やっぱりネットで画像を見るよりも、実際に本を見て、触りながら選んでいく方が楽しい。

 

会場を一巡し一通り本を見終わった時、年配の夫婦連れの客がやってきた。旦那さんの方は熱心に本を見ているが、奥さんはあまり興味なさそうにしているという、よくあるパターンだ。

そういえば昔、デパートの古書展で夫婦喧嘩を目撃したことがある。本を見ている旦那さんに待たされていた奥さんがついにキレて、辺りをはばからず大声で文句を言い始めたのだ。私を含めまわりにいた客は一瞬凍りつき、そっちの方を見ないようにしながら成り行きをうかがっていた。旦那さんはもごもごと弁解していたが、奥さんに連れられるようにして会場を後にした。その場にいた私たちは(たぶん)みんな旦那さんに同情し、妻帯者は自分の奥さんの顔を思い出して気が重くなったことだろう。くわばらくわばら。

そんなことを思い出しながら、選んだ本を帳場に持っていってお金を払う。買った本はこちら。

 

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ちなみに右端の背が読めない本は、昔の大衆作家村上浪六の『いたずらもの』という小説。今日買った中では唯一古い大正15年の本だ。

全体的に値段が安く、なかなかいい買い物だった。

ほかにも気になる本や欲しい本があったのだが、一度にたくさん買ってもどうせ積むだけなので、今日はこのくらいにして帰途につく。

……と言いながら、帰りにブックオフをはしごしてあと5冊ほど買ったのだが、とにかく上機嫌な秋の一日だった。