何を読んでも何かを思いだす

人生の半分はフィクションでできている。

森へ行きましょう

 

ちょっと調べたいことがあって、黒岩比佐子『古書の森 逍遥ーー明治・大正・昭和の愛しき雑書たち工作舎、2010)をパラパラめくっていたら、読むのをやめられなくなった。

 

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黒岩さんは、ちょっと変わった切り口で明治や大正の人や文化を紹介するノンフィクション作家である。ほとんど忘れられていた明治のベストセラー作家・村井弦斎にスポットを当てた『「食道楽」の人 村井弦斎』が代表的な仕事だ。

しかし残念ながら、2010年に52歳の若さで亡くなられた。

 

その黒岩さんは2004年からブログ「古書の森日記」を開設し、そこで仕事で使った(というか、使いきれなかった)膨大な古書を紹介し始めた。

この『古書の森 逍遥』という本は、そのブログを元に、紹介されている古書を古い順に編集してできた本だ。一番古い明治10年の『団団珍聞(まるまるちんぶん)』という雑誌を皮切りに、220冊の本や雑誌が紹介されている。

この本を読んで思うのは、「ああ、この人は本当に古書が好きなんだなあ」ということ。それに尽きる。

仕事のために膨大な古書に当たらなければならないのは当然だが、しかし黒岩さんの古書に対する熱量はどう見ても仕事を超えている。心底、古書と古書を買うことが好きなのだと思う。

 

章と章の間には「古書展めぐり」と題して古書展などで本を買ったときの日記が挿入されているが、これもおもしろい。

 

その人混みをかき分けて必死に棚の本に手をのばすと、身体が触れたおじさんにじろっとにらまれた。にらまれた瞬間、相手の方がびっくりして、もう一度じろっと顔を眺められる。これもよくあること。女性が少ないので、向こうも驚くのだ。「なんだ、この女は」と顔に書いてある。気にしてはいけない。というか、そういう反応にも、もうすっかり慣れてしまったが。(p.132)

 

古書の世界は「男の世界」であるーーといえばちょっとカッコいいが、要するに中高年のおっさん・じいさんの世界なのである。普段は紳士や好々爺であっても、いざ古書展の会場に入ると「古本修羅」と化す人も多いと聞く。そんな修羅たちに混じって本を漁るのだからたいへんだと思うが、でも楽しそうだ。

 

黒岩さんが買う本は明治や大正の古いものが多いので、それなりに値が張るのだろうと思ったら、意外にも古書展で買っているのは数百円ぐらいのものが多い。(買った値段も書いてある)

それは黒岩さんが、他の人があまり買わないようないわゆる「雑書」を買っているからだ。

そういう雑書を丹念に読んでおもしろいことを見つけるのが、ユニークな著作につながっている。

 

とはいえ、私のブログに高価な稀覯書などは登場しない。もちろん、それはお金の問題が大きいが、むしろ一〇〇円や二〇〇円で投げ売りされている雑本たちを見ると、いとおしくてたまらず、つい拾い上げてレジに持っていってしまうのである。いま、私の部屋を埋めつくしている本の大半は、マニアが見向きもしない雑書・雑本のたぐいだ。(「あとがき」p.380)

 

普通の人から見たらただの古ぼけた本や雑誌を「いとおしい」とまで思えるとは、骨の髄まで古本者である。

もちろん黒岩さんも、必要とあれば高価な古書も買う。しかし、値段の高低にかかわらず、とにかく古い本が好きなのだと思う。黒岩さんにとっては〈古書に貴賤なし〉なのだろう。

 

すでに書いたように、黒岩さんは2010年に亡くなられた。

もっともっと古書を買いたかっただろうと思う。

ちなみに黒岩さんのブログ「古書の森日記」(livedoorブログ)はまだ読むことができる。興味がある人はぜひ一度読んでみてください。

古書の森へ行きましょう。