何を読んでも何かを思いだす

人生の半分はフィクションでできている。

「いい感じ」を探して

 

まえから読みたいと思っていた本が文庫になったので、買ってきて読んだ。

宮田珠己『いい感じの石ころを拾いに』(中公文庫、2019 / 河出書房新社、2014)

 

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内容は、宮田さんが編集者などと一緒に海辺に石を拾いに行ったり、石の愛好家に話を聞きに行ったりというものだ。

宮田さんいわく、石ブームが来ているらしいのだが……。

 

石を蒐集したり、愛好する人たちがいることは知っていた。

一口に石といってもいろいろなジャンルがあって、例えば鉱石や化石といった学術的な感じのものや、室内で鑑賞する水石(すいせき)のようなちょっとアートっぽいものなど、それぞれに奥が深い(らしい)。

では宮田さんはいったいどんな石を拾うのか?

それは「いい感じ」がする石だ。

 

 私が好きなのは、色なのか模様なのか形なのかはいろいろだけど、とにかくひと目見たとき、そして手に持ったときいい感じのする自然のままの石であって、それはもはや科学的な観点とはほど遠く、同時にパワーストーンみたいな擬似科学的なものでもなく、宮沢賢治とか澁澤龍彦が好きそうなエキセントリックな鉱物ですらないという、まあ自分でもうまく説明できないんだけれども、とにかく既存のあらゆる価値とは無縁の石である。(p.28)

 

私たちは普段、物の価値について考えるとき、知らず知らずに公的な価値観に依ってしまいがちだ。

一番わかりやすいのは金銭的価値だろう。

例えば私が人から石を見せられたとして、それに対して良いも悪いも何も価値判断を下せなかったとき、「これ、1万円で買ったんだ」と言われると、(なるほど、これは1万円の価値があるのか、よくわからんが)と考えることができる。もちろん(こんなものに1万円も出すのか)と考えることもできるが、いずれにしても、私はもうその石を「1万円」と切り離して考えることはできない。 

これはもちろん石に限ったことではない。

私たちはよくこうした公的な価値観を基準に物事を考える。

 

しかし宮田さんはこうした公的な価値観ではなく、あくまでも「いい感じ」という私的な価値観にこだわる。 私的なものだから、必ずしも他人の理解や共感を得られないかもしれないが、それでも自分の「いい感じ」に従う。

 

 何度も言うようだが、いい感じの石とは、海や川で拾える石のなかで、形や色や模様や触り心地が、なんかいい感じのする石のことで、値段にすれば0円である。

 0円の石のなかから、いい感じのものを探す。(p.71)

 

と言いながら、ミネラルショー(石の展示即売会)で、1万5000円の風景石(断面が風景に見える石)を買ったりもするのだが、そこはまあ御愛嬌。 (「いい感じ」の石にたまたま値段が付いていただけとも言えるが)

 

こうして宮田さんたちは、北は北海道から南は九州まで「いい感じ」の石を探しに行く。石を拾うためだけにわざわざ行くのだ。

この「わざわざ」感がいい。

そうやって拾ってきた石の写真が、カラーで30ページにわたって紹介されている。

なるほど、いろいろな石があるものだ。「いい感じ」がなんとなく伝わってくる。なんとなくだけど。

 

 あらゆる価値観の押し付けから、完全に解放される自由な遊び。それが石拾いだ。(p.163)

 

うーん、こうしてみると、たしかに石拾いもおもしろそうな気が……しないでもない……かな?

自分で行ってみようという気にはならないけれど。