何を読んでも何かを思いだす

人生の半分はフィクションでできている。

お金の話

 

私の両親は、子どもの前でお金の話をしなかった。

いや、姉に対してはどうだか知らないが、少なくとも私の前ではしなかったし、するべきではないと思っていたようだ。

 

私は「末っ子の長男」として激甘に育てられたので、なにか欲しい物があると(高価な物でなければ)割と簡単に買ってもらえた。

家が裕福だったわけではない。むしろ家計はけっこう苦しかったはずだ。

それなのに、あるいは、それだからこそ両親は、私にお金のことで「弱み」を見せたくなかったのかもしれない。子どもにお金の不自由を感じさせないということが、親としての矜持だったのかもしれない。

しかしその結果、私はお金についてあまりよく考えることなく大人になってしまった。

 

お金を稼ぐこと、使うこと、貯めること、そういうことを学ぶ機会がほとんどなかった。

なによりお金のありがたみや怖さというものを知らなかった。 

それで大人になったのだから、苦労しないほうがおかしい。 ずいぶん回り道をしながらお金というものを学んだように思う。

もっとも、いまでも稼ぐ・使う・貯めるのどれも下手ではあるけれど。

 

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最近少しだけ「つまみ読み」した福原麟太郎『人生十二の知恵』講談社学術文庫、1987 /  新潮社、1953)という本に「金銭について」という章があって、そこで福原は、西洋人はお金というものに対してとてもドライではカラッとしているが、日本人はお金をいやしむべきものと考える習慣を持っているからあまりはっきりと金銭の話をしたがらない、というようなことを書いていた。

これは一般論としてなんとなくわかるような気がした。

もっとも、このお金をいやしむべきものとする感覚は、ある時代の、ある階層の人々の価値観だったのかもしれないので、簡単に「日本人は……」と一般化するわけにはいかないのかもしれない。なんとなく儒教道徳っぽい感じもするし。(当てずっぽうだけど)

しかし、そういえばうちの両親もお金の話をしたがらなかったなあ……というところから、上に書いたようなことを思い出したのだ。

 

いまの若い人はどうなんだろう?

私はいまでも人とお金の話をするのは恥ずかしいような、気まずいような感じがするのだが。