何を読んでも何かを思いだす

人生の半分はフィクションでできている。

セルフ・レジ

 

とあるスーパーでレジに並んだところ、そこのレジがセミ・セルフ式(商品をレジに通すのは店員で、支払は客が機械で行うタイプ)に変わっているのに気づいた。

そのスーパーは毎日行くところではなく、10日か2週間に一度ぐらいの頻度で行っているのだが、前回来たときにはまだ普通のレジだったので、「ああ、ここもついに……」と思った。

 

私の前に並んでいたお婆さんはレジが変わったことに気づいていなくて、店員が「2番(の機械)でお会計をお願いします」と言ったのに、いままでと同じようにレジのトレイにお金を載せたので、説明係として近くに控えていた別の店員がやってきて使い方を説明していた。

お婆さんはおどおどしたような、恐縮したような様子で、ちょっと気の毒な気がした。

そこはけっこうお年寄りが多く利用しているようなので、しばらくはこんな感じなんだろうなと思う。

 

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私がほぼ毎日通っているスーパーは、何年か前にセルフ・レジを導入している。残りのレジも全部セミ・セルフ式だ。

私はだいたいいつもセルフ・レジを使う。

最初の頃は自分でバーコードを読ませるのがめんどくさくて、なんだかなあと思っていたけれど、慣れると使い勝手がいい。

 

ネットを見ていると、やっぱりセルフ・レジを好ましくないと思っている人もいて、要するに、「人間味」や 「ぬくもり」に欠けるから嫌いだということらしい。

まあ、そういう意見もわからないではない。

しかしスーパーの側からいえば、こういう合理化、省力化は必然と言わなければならない。というのも、スーパーマーケットというもの自体が小売の合理化、省力化によって誕生したものだからだ。

 

(ネットでざっくり調べたところによると)スーパーマーケットの原型は1910年代のアメリカでできた。

それまでの小売店というのは、客の注文を店員が聞いて、店員が商品を棚やバックヤードから客のところに持ってくるような形式が主流だった。

しかしこれだと店員の労力が大きいし、ひいては人件費がかさむ。

そこで逆に、商品を広い場所に集め、客に自分で商品をレジまで持って来させるようにしたのがいまのスーパーの始まりらしい。(大雑把な説明だが)

 

私たちはいまの買い物の仕方が当たり前で自然だと思っているから、商品を自分で「持って来させられている」 とは思わないだろう。

でもそういうことなのだ。スーパーは最初から「セルフ」なのである。

考えてみれば、商品の袋詰めだって昔は店員がやってくれていたのに、いまでは自分でやるのが当たり前になっている。

これからもさらに機械化、省力化、セルフ化が進むだろう。

 

しかし、どういう形になっても、そこで営業を続けてくれるのが一番大事なことだと思う。経営不振になって撤退されるのが一番困るのだ。

とくに私が住んでるような田舎では。