何を読んでも何かを思いだす

人生の半分はフィクションでできている。

青田の風景

 

自分から望んでやっている田舎暮しではないので、ときどき今の生活が嫌になる。

ちょっとしたことで不満や不安が首をもたげて、ここではないどこか、もう少し都市に近いところで生活したくなる。

正直に言えば、あまり田舎が好きではないのだ。

 

とはいえ、何から何まで嫌いというわけでもない。

ささやかな楽しみや、気に入っているものがないこともない。

例えば「田園風景」も好きなもののひとつだ。特に今の時期、青田の風景がいい。

 

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あいにくの曇天。だが、雨も水の恵み。

 

 見ていてなんとなく落ち着くし(緑色の効用か?)、なんというか、安心感のようなものがある。

こういう風景を見ていると、唐突だけど、「ああ、ここはアジアなんだな」と改めて思う。普段は自分が日本というアジアの一地域に住んでいることなど意識することはないが、こういう水田の風景を見るとそう思える。

もちろん稲はアジアだけで栽培されているわけではないし、米もアジアの人間だけが食べるわけではない。

それでもやっぱり米=アジアという気がする。

 

ひょっとしたら、この風景に安心感を覚えるのは、食糧が豊富にあることに対する生き物としての本能のようなものではないかと思う。(自分の食糧ではないけれど)

だったら青田ではなく、稲穂が実った秋の風景の方がもっと直接的ではないか、と思われるかもしれない。

もちろんあの黄金色の風景も好きだけれど、青田には独特の良さがある。

それは稲の隙間に見える水の輝きだ。

米を作るには大量の水が必要になる。逆に言えば、米ができるということは、水が豊富であることの証というわけだ。青田はその豊富な水の存在も感じさせる。

 

豊富な水とたくさんの食べ物。

これ以上しあわせな風景があるだろうか?