何を読んでも何かを思いだす

人生の半分はフィクションでできている。

米を研ぐ

 

自分でご飯を炊くようになって長いけれど、いまだに「無洗米」というのを使ったことがない。

 

私の場合、自炊といっても完全な手抜き料理で、一番よく使う調味料が「めんつゆ」ということでもそれがどんなものかは推して知るべしなのだが、それなのに手間のかからない無洗米は使ったことがない。 

特に理由があるわけではないのだが、一つだけ気になっているというか、気に入らないことがあるのだ。

それは「無洗米」という名前。

なぜなら、米は洗うものではなく研(と)ぐものだ、と思っているからだ。だから名前をつけるのなら「無研米」が正しいのではないか?

いま画面越しに「どっちでもいいじゃん!」という声が聞こえてきて、自分でもつまらないことにこだわってるな、とは思うけれど、気になるのだから仕方がない。

 

ところが、ちょっとネットを見てみると、米を研ぐことを「研ぎ洗い」と表現している人もいて、そうなると「米を洗う」という言い方も半分ぐらいは正しいのかな、という気もしてくる。

そもそも、米はしっかり研ぐものだ、というのは精米技術が未発達だった昔の考え方で、現在は技術的に進歩改良されているので、そんなに力を入れて米を研ぐ必要がない。むしろ研ぎ過ぎると栄養が失われるし、米が割れたりして良くないらしい。

なんだか「研ぐ」にこだわる自分が偏屈な頑固ジジィみたいだ。

 

ところで、無洗米というのはいつ頃から普通に家庭で使われるようになったのか。気になったのでネットでざっと調べてみた。

無洗米の開発自体は意外に古い。

20世紀の初め頃には精米を研がずに調理できるような加工技術がいろいろ試行され、その一部は陸軍でも用いられたが普及はしなかった。

戦後もさまざまな方法が研究されてきたが、やはり一般に普及するには至らず。

それがようやく普及し始めたのが1990年代に入ってからで、特に「BG精米製法」という技術の開発が大きかったという。(この項、Wikipedia参照)

さらに詳しく知りたい人は、NPO法人「全国無洗米協会」(そんな組織があるんだ)のホームページを参照していただきたい。

 

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全国無洗米協会の認証マーク 「エコメちゃん」


 また、無洗米を使うメリットやデメリットに関しても、各種ホームページやまとめサイトがあるので、そちらをどうぞ。(自分で書けよ! と思われるかもしれないが、残念ながら私にはそんな「お役立ち情報」記事を書く能力がないので、悪しからず)

  

人は易きに流れるものだから、いつか米を研がないのが当たり前になるのかもしれない。

まあ、たしかにめんどくさいと思うこともあるし、便利になることは悪いことではないのだが、あの米を研いでいる時の手の感触と音は、なんというか、おいしいご飯の予感みたいなものを感じさせてくれるような気もする。

こだわりというほどのものではない。

たぶん「昔の人」の感傷にすぎないのだろうけど。

 

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