何を読んでも何かを思いだす

人生の半分はフィクションでできている。

文化系部活の体育会系な日々

 

私は高校の頃、吹奏楽部に所属していた。

 

たぶんどこでもそうなのだと思うが、吹奏楽部は文化系の部活でありながら、ノリとしては体育会系に近いものがある。

実際に、体力づくりと称して腹筋や腕立てなんかをやったりする。また「脚上げ」といって、仰向けに寝た状態で、脚を2、30度ぐらいの角度に上げたまま、その姿勢を1分ぐらいキープするということもやっていた。

私は高校の頃はかなり太っていて、もちろん運動は苦手で、こういうウォーミングアップ程度の運動でもすぐに根をあげていた。

世の中には稀に、そこそこ運動ができる(サモハン的な)デブというのも存在するが、残念ながら私は月並みなデブだった。

 

そんな部活は夏休みもハードだった。

午前中が課外授業で午後から部活だったり、一日中部活だったり、これのどこが夏休みなのか?  今ならそう思うが、あの頃はたいして疑問にも思っていなかった。素直なのか、単純なのか。

吹奏楽部だから当然大きな音を出す。

これにも配慮が必要で、ときどき学校から少し離れた公園まで行って練習しなければならなかった。この移動もけっこうたいへんだ。

書き忘れていたが、私が担当していたのはチューバ(バス)という一番大きな金管楽器でこれがやたらと重い。ハードケースに入れるとさらに重くなる。これを持って移動するだけでも重労働で、もう練習する体力は残っていない。

ついでに言えば、太っている男子がチューバを担当するのは「吹奏楽部あるある」なのだが、「太っている=力がある」というのは完全な誤解というか、錯覚というか、幻想である。(なので、太っている人に安易に力仕事など頼まないように)

 

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チューバ(Wikipediaより)

 

当時、私たちの部はお盆ごろに「定期演奏会」をやっていた。それが(コンクールと並んで)一年の最大の目標だった。

だからそれに向けて練習もだんだんハードに、濃密になっていく。それと共に、仲間(OB・OGも含む)と過ごす時間も濃密になっていくようだった。朝早くから夜遅くまで、ああでもないこうでもないと、一つの目標に向かって同じ時間を共有していた。

そして本番。

高揚、歓喜、感動、涙……。

3年生はこの定期演奏会を最後に引退するので、余計に感動的になる。

こうして私たちの夏が終わる。

 

いま、昔を思い出しながら書いているわけだけれど、とても自分の過去のような気がしない。

「なんて真っ当な青春なんだ」と思う。ちょっと嘘くさいぐらいだ。自分でも気がつかないうちに、記憶を改ざんしているのではないかとさえ思う。

「努力・友情・勝利」じゃないけど、大勢の仲間と一緒に一つの目標に向かって努力するなど、今の私には考えられない行動だ。

どうしてあの頃はそんなことができたのだろう?

わからない。

 なんとなくわかるのは、この先、もう二度と、あんな熱い夏を過ごすことはないだろうということだけだ。

 

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 今週のお題「夏休み」