何を読んでも何かを思いだす

人生の半分はフィクションでできている。

病院は待ち時間が9割

 

前回の記事でも書いた通り、会社の健康診断で高血圧と診断された。まあ、診断されたというか、数値を見れば一目瞭然だったのだが。

その後、会社の総務の女性から

「病院に行ってくださいね。じゃないと(会社の規則で)仕事ができなくなるかもしれませんよ」

と、やんわり脅されたので、市内に2つある総合病院の1つに(しぶしぶ)行ってきた。

 

自分のことで病院に行くのは4年ぶりぐらいなので、ちょっと緊張する。

総合の受付を済ませ、渡されたファイルを持って内科の受付へ。血圧を測ってくださいと言われたので、廊下の測定機で測り、出てきた紙を持ってまた受付へ。

「高いですね。念のために反対の腕でもう一度測ってください」と言われたので、また測って受付へ。

それから受付の前のイスに座って名前が呼ばれるのを待つ。待ち時間が長いのは覚悟していたので、文庫本を持ってきていたけれど、あまり集中できない。ちなみにスマホは持ってない。

めったに来ない病院に来ているのだから、この機会に「人間観察」でもしようと思ったのだが、私にはそういう物書きの〈観察眼〉がないので、「老人が多いな」という子どもにでもわかる事を確認しただけだった。

 

どれくらい待ったか、名前を呼ばれたので受付の横のドアから部屋に入って採血する。血を採られているところを見たくないので、不自然に目を逸らす。

それからまたファイルをもらって心電図をとる部屋へ。続いて胸部のレントゲン。受付にファイルを戻す。

またしばらく待って、名前を呼ばれたので先生がいる診察室へ。30前後の若い先生から検査結果の説明を受ける。内容はもちろん良くないが、だいたい予想していた通りなのでまあいい。

とりあえず2週間分の薬を出してもらい経過を見ることになった。

高血圧なんてすぐに良くなるものではないので、薬とは長い付き合いになるんだろうな。

 

それにしても、病院の待ち時間はもう少しなんとかならないものか。

待ち時間に対して実際の検査や診察の時間が短いために、余計に徒労感がある。

予約を入れていけばよかったんだろうけど、なんだかなあ。

 

こんなお土産をもらった。

 

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これに毎日の血圧の数値を書き込んでいかなければならない。めんどくさ……。

 

 

基本のキ

 

先日、職場の健康診断があって「警告」を受けた。病院に行けという指示だ。

問題は高血圧。けっこう危険な数値だった。

もともと高めの数値だったのだが、ここ2、3年で40ポイントぐらい上昇している。

これといった原因は思いつかないが、たぶん小さな事の積み重ねでそうなったのだろうと思う。小さな事からコツコツと。

 

その小さな事の一つは、やはり食生活だろう。とくにここ最近は自炊をサボり気味だった。

自炊といってもたいした事をしていたわけではないけれど、最近は自分でご飯さえ炊かずにコンビニやスーパーの弁当を買ったり、カップ麺で済ますことが増えていた。

もちろん自分で作れば体にいいものができるとは限らないが、カップ麺よりはマシだと思う。

 

そこで自炊の基本に立ち帰るべく、こんな本を読んでいる。

瀬尾幸子『みそ汁はおかずです』(学研プラス、2017)

 

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自炊の基本はやっぱりご飯とみそ汁だ。

 

レシピ本なので、読むというよりはパラパラと眺めていると言った方がいい。

いろいろな具材の組み合わせを見て、「うまそうだな。今度作ってみようかな」とか「いや、これはないわー」とか考えるのが楽しい。実際に作るかどうかはともかくとして。

人のために作るのなら気をつかうが、自分のためだけに作るのだから気楽なものだ。

みそ汁なんて、子どもの頃はたいしてうまいとも思わなかったけれど、うまいと感じるようになったのは歳をとったということだろうか。

ちなみに私の中でもっともベーシックというか、スタンダードな具の組み合わせは「豆腐+玉ねぎ+わかめ」です。

 

そういえば、かなり昔の漫画やドラマで、男性から女性への紋切型のプロポーズとして「君のみそ汁が食べたい」なんていう台詞があったけれど、今となってはパロディとしても古すぎて使えないだろうな。

むしろ「僕の作ったみそ汁を食べてください」の方が現代的(?)かもしれない。

いや、どうでもいいけど。

 

 

やねのねこ

 

ある時、家の座敷の方で突然ガタガタッという音が聞こえた。

地震か⁉︎ と思って身構えたが、揺れてはいない。風も吹いていない。

実家は私が小学生の時に改築したので、もう40年以上になる古い木造建築だ。あちこちガタがきているのだろう、ということでその時は納得した。

しかし、それからもたびたびガタガタッという音がする。木材の老朽化のせいというには不自然な音だ。ちょっと不安になる。

ちなみに座敷には仏壇がある。いや、だからどうしたというわけではないのだが、しかし……。

 

しばらくして原因がわかった。

ある日、座敷から何気なくガラス戸の外を見ていた。そのガラス戸から1メートルほど離れたところに松の木がある。その松の幹を、白い猫がするするっと登っていったのだ。そして家の方に伸びている枝の端にくると、そこから屋根に跳んだ! ガタガタッ。

なるほど、猫が屋根に着地した衝撃で音がしていたのか。

猫一匹の重さであんな大きな音がするのは問題だが、とりあえず原因がはっきりしてよかった。 

 

気にしていると、ごくたまにその白猫が屋根に乗っているのを見つけるようになった。

うちに来る野良猫はほかにも2、3匹いるはずだが、屋根に乗っているのはたいていその白猫のようだ。私が見た時たまたまそうなのかもしれないが、 屋根の上は彼(もしくは彼女)の縄張りなのかもしれない。うちの屋根なんだが。

 

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屋根の上の猫といえば、萩原朔太郎にこんな詩がある。 

                 

  まつくろけの猫が二疋、

  なやましいよるの屋根のうへで、

  ぴんとたてた尻尾のさきから、

  糸のやうなみかづきがかすんでゐる。

  『おわあ、こんばんは』

  『おわあ、こんばんは』

  『おぎやあ、おぎやあ、おぎやあ』

  『おわああ、ここの家の主人は病気です』

            萩原朔太郎「猫」(下線は原文では傍点)

 

ただこれだけのたわいもない詩だが、なぜか妙に頭に残っている。たしかに猫は「おわあ」って鳴くよな。

うちの屋根の上にいる猫には、屋根の下にいる人間がどう見えているだろうか。

 

『おわああ、ここの家の主人は病気でもないのに、一日中布団の上でゴロゴロしています』

 

 

三寒四温

 

朝起きると、といっても10時ごろだったが、雪が積もっていた。

3、4日ほど前は、ちょっと動くと汗ばむぐらいの陽気で、このまま春になりそうだなと思っていたのに、いまさら雪だと言われても……。

こういう寒暖差はつらい。

起きた時からずっと軽い頭痛がしていて、いつものように4分の1の大きさに切ったサロンパスをこめかみに貼り、おでこに冷却シートを貼って、その上からタオルで鉢巻をしている。

これも季節の変わり目だからだろうか。それとも別の理由があるのだろうか。とりあえず季節のせいにしておこう。

 

三寒四温というぐらいだから、暖かい日と寒い日が交互にやってきて春に近づいていくのはわかるけれど、今年はとくに「寒」と「温」の差が大きいような気がする。

気温の上がり下がりが激しくて、まるでジェットコースターのようだ……という比喩を使おうと思ったら、ジェットコースターなんてもう30年は乗っていないことに気付いた。今後の人生でジェットコースターに乗ることはたぶんもうないんだろうなと、唐突に思う。

 

三寒四温という言葉を思い出すと、自動的に谷崎潤一郎の『細雪』を思い出す。

谷崎はもともとその小説に「三寒四温」というタイトルを考えていた、という話を何かで読んだことがある。

細雪』を読んだのはいつのことだったか。

たぶん無職でぶらぶらしていた20代のころだったような気がする。そのくらい時間に余裕がある時でないと、ああいう小説は読めないかもしれない。

でもあの頃は、時間に余裕があるのとは逆に、精神的な余裕はなかったはずで、そんな時にあんな小説が読めただろうか、とも思う。

まあ、とにかく一度読んだことは確かだ。内容はほとんど覚えていないけれど。

 

ジェットコースターには二度と乗らなくてもいいが、『細雪』はもう一度読んでみたい。

 

 

本に挟み込む

 

前回、吉田絃二郎『わが旅の記』第一書房、1938)という古本を買ったらおもしろい書き込みがあった、という話をした。

 

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書き込みは本来なら歓迎すべきものではないが、内容によってはちょっと得をした気分になる。本に「おまけ」がついてきたような感じだ。

ところがこの本にはもうひとつ「おまけ」がついていたのだ。それがこちら。

 

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古い新聞記事の切り抜きが挟んであったのだ。

古本に何かが挟まれていることはよくある。栞がわりにしたレシートや映画の半券、古い葉書や写真、ときには紙幣が挟まれていた(へそくり?)なんて話も聞く。

書き込みと違ってこうした挟み込みは本を傷つけることはない、とは言い切れない。

挟まれていた物が劣化することによって、その前後のページにシミを作ってしまうことがあるからだ。とくに新聞紙のような質の悪い紙はそうで、実際に上の記事が挟まれていたところには薄いシミができていた。

そういうマイナス面もあるが、それ以上に内容が興味深ければ、やっぱりちょっと得した気分になる。

 

さて、上の新聞記事だが、写真の横に鉛筆で「13.10.12」という書き入れがある。つまり昭和13年10月12日の新聞だ。そしてもう一か所、見出しの下に「東京の旅よりかへりてあくる夜に」とも書かれている。東京の旅というのは本の書き込みに書いてあった通りだ。(前回の記事を参照)

 

paperwalker.hatenablog.com

 

この(旧暦)10月12日は、松尾芭蕉が亡くなった日(芭蕉忌)であり、それを記念して作家の吉田絃二郎が芭蕉の墓がある義仲寺(滋賀)で講演し、それが「午後8時40分」からラジオ放送されるのである。

しかもその途中で、吉田が書き下ろした「湖上の秋」という、琵琶湖上での芭蕉の有名な句会を描いたラジオドラマが放送されるらしい。こちらは京都のスタジオからの放送だ。

新聞でその記事を見つけて切り抜き、こうして本に挟んでいるところを見ると、この本の所有者はけっこう熱心な吉田の読者だったのかもしれない。

ちなみにこの記事の裏側はスポーツ欄になっていて、アメリカのメジャーリーグワールドシリーズニューヨーク・ヤンキースシカゴ・カブス)の試合記録などが載っている。

昭和13年といえば大陸では日中戦争が激しさを増しているころだが、こういう新聞記事を見ると、内地ではまだまだ文化的な余裕があったと感じる。

 

この切り抜きは、また本の間に挟んでおこう。

何年先か知らないが、古本屋でこの本を手に取ったどこかの誰かが、本を開いて「おっ、これは……」と思うことだろう。

 

 

本に書き込む

 

久しぶりに「ヤフオク」で古い本を買った。

吉田絃二郎『わが旅の記』第一書房、1938)。昭和13年の本だ。

 

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(画像はパラフィン付きの状態)
 

著者の吉田絃二郎は、戦前にはよく読まれていた作家だが、戦後はあまり読まれず、現在では(失礼ながら)忘れられた作家と言っていいと思う。

私も名前は知っていたが読んだことはなかった。

この本は、その吉田絃二郎の紀行文を集めた本……らしい。「らしい」というのはもちろんまだ読んでいないからで、パラパラっとめくっただけに過ぎない。

しかし読んだ部分もある。それは元の所有者の「書き込み」だ。

 

古本が好きな人なら経験があると思うが、買った本に書き込みを見つけた時のあの落胆をどう表現すればいいのか。

この時の反応は、たぶん、本の「値段」と書き込みの「量」によって違ってくる。

安く買った本に数行の書き込みなら「チッ」と舌打ちするだけで済むが、高価な本にたくさんの書き込みを見つけたときは絶望的な気持ちになる。

今回私が買った本はいつもながらの安い本(送料込みでもワンコイン)だったのだが、書き込みの量というか面積が問題だった。「見返し」の「遊び」の1ページまるまる、大きめの字で11行にわたって鉛筆による書き込みがあったのだ。

これはどうしたものか、と思った。これが高価な本なら返品するところだが、安い本だし、本文ページには書き込みはない。結局「まあ、いいか」ということで落ち着いた。

 

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(右が見返しの書き込み。左は著者の口絵写真。苦行僧のような渋い顔をしている)
 

長くなって申し訳ないが、いままでの話は「前置き」です。

「まあ、いいか」と思って、一応その書き込みを読んでみた。するとこれがなかなかいい文章だったのだ。(旧字は適宜改めた。□は読めなかった文字)

 

昭和十三年□月五日、東京への旅の車窓によまむとて求む。

往きの夜行にはにぎやかなりし子らの、かへりは一通のつかれに、はや東京を発つより、ひとりひとりふかき眠りにおちいりて、□□トンネルを去るころはめざめているもの我ひとりなり。

しづかに車窓にうつれるわが旅やつれの顔をみれば、まことに「ただ一人なる旅人」のすがたなり。この時始めて深き旅の哀しみ胸にみつ。

よき旅のおもひでも、かくて一人一人の胸の奥永に忘れ去らるべし。かくてかのなつかしき旅の記憶を刻むもの、つひにわれひとりのみとなるべきか。

    ひとりしづかふたりしづかも霧のおく

  昭和十三年十月十一日未明 東京よりかへるさの車中にて

 

東京へ子どもたちを連れての旅行の帰り、この旅人氏はもの思いにふける。

行きの夜行でははしゃいでいた子どもたちも、いまは隣ですやすやと眠っている。この子たちは、この旅行のことを大人になっても覚えているだろうか?

ふと、自分も、この子たちも、一人一人が自分の人生を旅する旅人なのだと思う。

旅の時間を誰かと「共有する」ことはできる。しかし旅そのものを共有しているわけではない。同じ道を歩いていても、人それぞれの旅がある。

大切な家族がいる。良き友もいる。決して一人で生きているわけではない。しかし、それでも、根本的なところで人は一人なのだ……と、旅人氏は思った、かもしれない。

 

夜汽車の中で、そんなことを本の見返しに走り書きする旅人氏。

その個人的な文章を80年後に読んで、無名の旅人氏のことを思う私。

交わるはずのない人生が交わる不思議。

 

 

絵葉書を読む(その4) えずこ

 

『絵葉書を読む』第4回。今回の絵葉書はこちら。

『東北風土記 東北娘独特の風俗「エヅコ」』

 

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写真の部分を拡大したのがこちら。

 

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この赤ん坊がすっぽり入っている籠のようなものが「えずこ」(えづこ)である。

赤ん坊を寒さから守るためのもので、稲わらを編んで作られている。

東北地方全般に見られたものらしいが、名前が地域によって多少違っていて、「えじこ」「いじこ」「いずめこ」「えんづこ」などとも呼ばれている。

昔は(東北の)どこの農家にもあったが、1950年代の後半ぐらいから見られなくなっていったという。

古い絵葉書には、こうした現代では失われた風習・風俗が描かれているものもあって興味深い。

ちなみに山形県庄内地域鶴岡市には「いずめこ人形」という工芸品かがあって、その姿を現代に伝えている。

 

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 鶴岡市の「いずめこ人形」(画像はウェブサイト「山形県ふるさと工芸品」から借用)

 

それでは表の通信文を読んでみよう。(旧字は適宜改めた。□は読めなかった文字)

 

既に御承知の「エヅコ」を御紹介致します。

秋田市へ参りました。この夏には版画のなかなかよいのがあり(絵葉書)ましたので、探しても、一寸やそっとでは今は見[つ]かりも致しません。

これから□□へ廻ります。車中、倉田氏、農の民俗学を読破したいと思って見て居りましたが、十頁程□□進行度です。

「国光」が□しく車窓へ飛び込みました。匆々。

秋田ー大館間 車中にて

 

差出人は秋田に来ていて、そこでこの絵葉書を買い求め、移動の車中で書いたものらしい。(国光〔こっこう〕はリンゴの品種のことだと思うが、読み違いかもしれない)

興味深いのはこの葉書の宛先だ。「東京都西ヶ原町」にある「農事試験場」の某様宛になっている。

農事試験場は、現在でいう農業試験場であり、農作物の品種改良や効率的な農法などを研究するところである。おそらく宛名の某氏はそこに勤めている人なのだろう。そういう職業柄、地方の農村の風習・風俗にも関心を持っているのではないだろうか。

差出人も『農の民俗学』などという本を読むくらいだから、なにか農業に関係した仕事をしているのかもしれない。

 

なんとなくのんびりとした内容の手紙だが、消印の日付は昭和19年11月9日。

絵葉書の表には、目立たない小さな薄い字ではあるが、「国策に副ふて備へよ 身と心」というスローガンが印刷されている。

 

(「えずこ」に関しては 酒井惇一氏による下記のコラムを参照させていただいた)

 子守用のわら工品・「えずこ」【酒井惇一・昔の農村・今の世の中】第100回|昔の農村・今の世の中|コラム|JAcom 農業協同組合新聞