何を読んでも何かを思いだす

人生の半分はフィクションでできている。

三寒四温

 

朝起きると、といっても10時ごろだったが、雪が積もっていた。

3、4日ほど前は、ちょっと動くと汗ばむぐらいの陽気で、このまま春になりそうだなと思っていたのに、いまさら雪だと言われても……。

こういう寒暖差はつらい。

起きた時からずっと軽い頭痛がしていて、いつものように4分の1の大きさに切ったサロンパスをこめかみに貼り、おでこに冷却シートを貼って、その上からタオルで鉢巻をしている。

これも季節の変わり目だからだろうか。それとも別の理由があるのだろうか。とりあえず季節のせいにしておこう。

 

三寒四温というぐらいだから、暖かい日と寒い日が交互にやってきて春に近づいていくのはわかるけれど、今年はとくに「寒」と「温」の差が大きいような気がする。

気温の上がり下がりが激しくて、まるでジェットコースターのようだ……という比喩を使おうと思ったら、ジェットコースターなんてもう30年は乗っていないことに気付いた。今後の人生でジェットコースターに乗ることはたぶんもうないんだろうなと、唐突に思う。

 

三寒四温という言葉を思い出すと、自動的に谷崎潤一郎の『細雪』を思い出す。

谷崎はもともとその小説に「三寒四温」というタイトルを考えていた、という話を何かで読んだことがある。

細雪』を読んだのはいつのことだったか。

たぶん無職でぶらぶらしていた20代のころだったような気がする。そのくらい時間に余裕がある時でないと、ああいう小説は読めないかもしれない。

でもあの頃は、時間に余裕があるのとは逆に、精神的な余裕はなかったはずで、そんな時にあんな小説が読めただろうか、とも思う。

まあ、とにかく一度読んだことは確かだ。内容はほとんど覚えていないけれど。

 

ジェットコースターには二度と乗らなくてもいいが、『細雪』はもう一度読んでみたい。