何を読んでも何かを思いだす

人生の半分はフィクションでできている。

やねのねこ

 

ある時、家の座敷の方で突然ガタガタッという音が聞こえた。

地震か⁉︎ と思って身構えたが、揺れてはいない。風も吹いていない。

実家は私が小学生の時に改築したので、もう40年以上になる古い木造建築だ。あちこちガタがきているのだろう、ということでその時は納得した。

しかし、それからもたびたびガタガタッという音がする。木材の老朽化のせいというには不自然な音だ。ちょっと不安になる。

ちなみに座敷には仏壇がある。いや、だからどうしたというわけではないのだが、しかし……。

 

しばらくして原因がわかった。

ある日、座敷から何気なくガラス戸の外を見ていた。そのガラス戸から1メートルほど離れたところに松の木がある。その松の幹を、白い猫がするするっと登っていったのだ。そして家の方に伸びている枝の端にくると、そこから屋根に跳んだ! ガタガタッ。

なるほど、猫が屋根に着地した衝撃で音がしていたのか。

猫一匹の重さであんな大きな音がするのは問題だが、とりあえず原因がはっきりしてよかった。 

 

気にしていると、ごくたまにその白猫が屋根に乗っているのを見つけるようになった。

うちに来る野良猫はほかにも2、3匹いるはずだが、屋根に乗っているのはたいていその白猫のようだ。私が見た時たまたまそうなのかもしれないが、 屋根の上は彼(もしくは彼女)の縄張りなのかもしれない。うちの屋根なんだが。

 

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屋根の上の猫といえば、萩原朔太郎にこんな詩がある。 

                 

  まつくろけの猫が二疋、

  なやましいよるの屋根のうへで、

  ぴんとたてた尻尾のさきから、

  糸のやうなみかづきがかすんでゐる。

  『おわあ、こんばんは』

  『おわあ、こんばんは』

  『おぎやあ、おぎやあ、おぎやあ』

  『おわああ、ここの家の主人は病気です』

            萩原朔太郎「猫」(下線は原文では傍点)

 

ただこれだけのたわいもない詩だが、なぜか妙に頭に残っている。たしかに猫は「おわあ」って鳴くよな。

うちの屋根の上にいる猫には、屋根の下にいる人間がどう見えているだろうか。

 

『おわああ、ここの家の主人は病気でもないのに、一日中布団の上でゴロゴロしています』