何を読んでも何かを思いだす

人生の半分はフィクションでできている。

それだけのこと

 

口癖というほどではないが、「それだけのこと」という言葉をわりとよく使う。

他人との会話で使うのではなく、独り言のように、自分の心の中でつぶやく感じだ。

この、ちょっと開き直ったような、少し投げやりな感じがする言葉には不思議な力がある。

 

私はけっこうのんきに生きている方だと思うけれど、それでも多少の不安や悩みはある。

そういう不安や悩みはたいてい結論のない堂々巡りでしかないので、さっさとスルーするに限るのだが、なかなか頭から離れないときがある。そんなとき、それに対して心の中で「それだけのこと」と唱えると、「ああ、なるほど、たしかにそれだけのことだ」と堂々巡りを終わらせることができる。

もう少し具体的に言ってみよう。例えば「孤独死」。

私はこのままいけば孤独死確定なのだが、そのことがたまに不安になったり寂しく感じられたりする(「たまに」程度だが)。

「誰にも看取られることなく、独りで死ぬ」

そのことがたまらなくいたたまれないことのような気がする。そういうときにこの言葉を付け加えてみる。

「誰にも看取られることなく、独りで死ぬ。それだけのこと

うん、まあ、それだけのことだな。納得というわけではないが、とりあえず話はそこまでになる。

もちろんこれはあくまで「例」として話を単純化して書いているので、さすがにこんな単純な人間だと思われても困るが、まあ、だいたいこんな感じだ。

私たちは常にいろいろなことを考えているが、ときどき考え過ぎてしまい、不安や悩みといったものを「実体」以上の大きさにしてしまう。

「それだけのこと」という言葉には、一旦その過剰な思考を止めて、ふくれあがった不安や悩みを元の大きさに戻してくれるようなところがある。

 

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そんな効果のある言葉だが、使い勝手がいいからといってむやみに使い過ぎると「副作用」が現れてくる。

思考が麻痺してくるというか、だんだん虚無的な気分になって、あらゆることがどうでもよくなってくるのだ。そして最終的にはこんなことになる。

人間なんて、ただ生きて、死ぬだけ。それだけのこと。

いや、まあ、そうなんだけど、それではあまりにミもフタもなさ過ぎる。 私は、そこまでは行きたくない。

 

どんな言葉でも、使い方によっては毒になる。 

言葉も、用法・用量を守って正しく使いましょう。