何を読んでも何かを思いだす

人生の半分はフィクションでできている。

店主と客の幸福な関係

 

山本善行清水裕也『古書店主とお客さんによる古本入門   漱石全集を買った日』(夏葉社、2019)を読んだ。

 

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山本善行さんは京都で古書店「善行堂」を営む古本屋さんで、著作や編集本が何冊もある、古本好きにはおなじみの人だ。

変わっているのはもう一人の清水裕也さん(ツイッター名は「ゆずぽん」さん)で、この人は「善行堂」の常連客であり(文筆を仕事にしていない)普通の会社員である。

この本は古書店の店主と、その常連客との対談で構成されている。そのテーマは、特に本好きというわけでもなかった清水さんが、どうやって古本と出会い、その底無しの深みにはまっていったかというものだ。

 

文学に興味はあったものの、今ひとつとっつきにくいと思っていた清水さんは、あるとき入った古本屋でたまたま『漱石全集』(筑摩全集類聚版)を見つけて、じゃあ、とりあえず漱石、みたいな感じで買って読み始める。

これがおもしろくて、昼夜を継いで読み終わる。そうしたら関心が漱石から広がって、繋がって……と、この流れは本好きならよくわかるところだろう。

こうして清水さんは坂を転がり落ちるように古本の深みにはまっていく。

 

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おなじみの漱石

 

この本の冒頭には、件の『漱石全集』から始まって、この5年ほどの間に清水さんが買った古本(の一部)を順番に並べて写真に撮ってあるのだが、日を追うに従って黒っぽい本が増えていき、内容もディープに、マニアックになっていくのがわかる。

人は5年でこれほどディープな古本者になるのか。

 

本に限らないけれど、何かを知るということは、同時に知らないことの多さに気付かされるということでもある。だから、知れば知るほど知らないことが増えていくというパラドックスが生まれる。

これをおもしろいと思うか、うんざりするかによって進む方向が違ってくる。

清水さんはおもしろいと思うタイプだろう。

だからどんどん本を買う。

 

善行さんはこんなふうに言う。 

古本を探すことは、どこか自分を探すようなところがあるから。自分がほんとうに好きなものは何か、というような。(p.184) 

清水さんはこんなことを言う。

そもそも古本屋という存在自体が ‘‘人々の記憶の最後の砦’’ といえるかもしれません。(p.189)  

古本屋の店主と客という立場の違いはあるが、ここには同じように古本を愛する者としての連帯感があり、お互いに対する〈敬意〉が感じられる。 

「同好の士」はこうありたい。