何を読んでも何かを思いだす

人生の半分はフィクションでできている。

シュガー・スポット

 

バナナを常温で放置していると、2、3日もすれば茶色のポツポツが現れる。

あれ、もう傷んできたのかな?  なんか見た目、美味しくなさそうだな、と思う。しかし、

「この斑点は『シュガー・スポット』といって、『甘くなったよ、食べ頃だよ』というサインです。これが現れたバナナを食べると、免疫力がアップします」

と説明されると、なるほど、そういうものかと納得し、斑点もあまり気にならなくなる。むしろ斑点が現れた方が得をしたような気にさえなる。

「劣化」ではなく「熟成」の目印というわけだ。

「シュガー・スポット」という名前も気が利いている。

 

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人間も長く生きていると、それなりに見た目が変化してくる。

一般的に、年齢を重ねることで生じる外見の変化は、あまり喜ばしいものではないと思われている。

しかし、「それは『劣化』ではなく、人間的な『成熟』の証ですよ」ということを、「シュガー・スポット」みたいなうまい言葉で言い表わせないものか。

そうすれば、あれほど躍起になって「アンチ・エイジング」に励まずに、もっと自然に年齢を受け入れられるようになるのでは?……と思ったのだが、そういうわけにはいかないだろうなあ。

そもそも人間の場合、歳をとったからといって、必ずしも(精神的に)成熟しているとは限らないし。

試しに、身近な女性にこう言ってみるといい。

「あなたの顔に現れたソレは、バナナの『シュガー・スポット』的なもので、人間としての成熟を……」

間違いなくブン殴られるな。