何を読んでも何かを思いだす

人生の半分はフィクションでできている。

記憶の扉

 

前にも少し書いたけれど、私が小、中学生の頃(70年代後半から80年代前半)、アイドルや歌謡曲の話題は子どもたちの「社交」には欠かせないものだった。

 

今みたいに多様な娯楽がある時代ではないので、興味や関心がいくつかの話題に集中し、みんなが同じものを同じように楽しむという感じだった。これは子どもだけでなく、大人もそうだったと思う。

歌もそうで、特にその人のファンではなくても、みんなが知っている曲というのがたくさんあった。

だから、例えば、西城秀樹の『ヤングマン』が『ザ・ベストテン』の最高得点(9999点)を取ったとか、寺尾聰の『ルビーの指輪』が同番組の連続1位記録を更新(12週連続)した、なんていうことが共通の話題になったりした。

 

私も話題に乗り遅れないようにがんばって情報を集めた。

当時はテレビの歌番組も多かったし、『平凡』や『明星』といったアイドル雑誌には付録に必ず「歌本」が付いていた。

確か日曜日の午後だったと思うが、ランキングで歌を紹介していくラジオ番組があって、私はできるだけそれを聴くようにしていた。のみならず、「これは」という曲をカセットテープに録音したりもした。いわゆる「エアチェック」というやつだ。

ラジカセの録音ボタンに指を置いて、DJの言葉が終わるのを待って曲の頭に合わせて押すのだが、このタイミングがなかなか難しくてよく失敗した。

 

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そんなふうに熱心にやっていたけれど、本当のところはそれほど歌に興味があったわけではなく、友だちと話を合わせるのに必要だったからにすぎない。

だから必要がなくなれば、頭の中からきれいサッパリ消えてなくなってもいいはずなのだが……そうならないのが人間の記憶というものだ。

 

先日、スーパーで買い物をしている時、ふいに『セーラー服と機関銃』(1981)が流れてきた。

 

      さよならは別れの言葉じゃなくて   再び逢うまでの   遠い約束

 

薬師丸ひろ子来生たかおのオリジナルではなく、別の女性が歌っているものだったけれど、それを聞いた時、私の中になんともいえない感覚が生じた。

なんというか、それを聴いていた頃のあれやこれや、良いことも悪いことも、喜怒哀楽や、期待や不安や……とにかくそういったあの頃の記憶が、まったく意識できないくらいの超々高速で再生され、消えていき、後に残された私は痺れたようにその場に立ち尽くしている、まるで目の前を高速の列車が通り過ぎていったように……あえて言葉にするとこんな感じだろうか。

玉手箱を開けた時の浦島太郎の感覚はこんな感じかもしれない、と思った。

鳥肌が立って、大の大人がちょっと泣きそうになった。あれは何だったのか。

 

       愛のいた場所に   未練残しても   心寒いだけさ

 

なんだか最近昔のことばかり思い出しているような気がする。

ブログを書くようになって、いろんなところに記憶の扉があるのに気づいた。開けてみて嬉しくなることもあれば、開けなきゃよかったと思うこともある。

自分で開けなくても、ちょっとしたことで開いてしまうこともある。何がきっかけになるかわからない。

記憶は不思議だ。

 

        ただ心の片隅にでも   小さくメモして

 

 

今週のお題「わたしの好きな歌」