何を読んでも何かを思いだす

人生の半分はフィクションでできている。

父は軽トラに乗って

 

今週のお題「おとうさん」

 

私の家は農家だったので、家にある車は軽トラックだった。

 

私が小学生だった頃は当然まだ父も若く、米の他にいろいろな野菜も作っていた。

収穫した野菜は、袋や箱に詰めたり、束にしたりしてまとめ、それを軽トラの荷台に積んで隣の市にある市場まで運んでいく。

私はときどきその手伝いに市場までついて行った。手伝いといってもたいして役に立つわけではないが、私が軽トラの助手席に座ると父は少し嬉しそうで、家の中では聞いたこともない鼻歌を歌ったりしていた。作業が終わると駄賃をもらい、市場の中にあった自動販売機で甘いコーヒーを買って飲むのがお決まりの楽しみだった。

 

家にはそれ一台しか車がなかったので当然なのだが、どこに行くにも軽トラだった。

私もそれを当たり前だと思っていたが、ひとつだけ、たまに学校まで送ってもらう時は少し嫌だった。授業参観や運動会などで、他の父兄が来るような時はなおさら嫌だった。そういう時はちょっとだけ普通の乗用車(4ドアのセダン)に憧れた。

田舎のことなので、学校には農家の子どもも多く、軽トラはウチだけではないから「恥ずかしい」というほどの気持ちはなかったが、それでも他の子の家族が4ドアの車から降りてくるのがちょっとだけうらやましかった。(軽トラは当然2ドアの2人乗りだ)

要するに、子どもなりの「見栄」のようなものだ。

 

それからなんだかんだあって時間は流れ、私は長い間独り暮らしをし、それからやはりなんだかんだあって実家に戻った。

私は免許こそ持っていたが車は運転せず、移動はもっぱら原付バイクだった。実家に戻ってからもそれは変わらなかった。(田舎では車は不可欠なのだが)

だから家にある車はやはり父の軽トラ一台だけだった。

私は(雨の日で特に用事がある時など)父に車を出してもらったり、父の用事について行ったりで、子どもの頃と同じように軽トラの助手席に座った。

しかし子どもの頃とは少し感じが違う。

父の運転がちょっと覚束なく感じるのだ。

最初は気のせいだと思った。父の隣に座るのは久しぶりだし、自分も大人になって視線が高くなっているので子どもの頃の感覚とは違うのだろう、と。

しかし、何度も乗るうちに、やはり父の運転が危なっかしくなっているのだと思った。1、2度ヒヤリとするようなこともあった。それとなく注意しようかとも思ったが、なんとなく言い出しかねた。

 

ある日、仕事から帰る途中、家から数十メートル離れたところにある他所の家の倉庫の壁に、拳ぐらいの大きさの穴が開いているのを発見した。はて、昨日まではなかったはずだが、と思いつつ帰宅すると、父の車の同じくらいの高さの所にも傷がある。まさかと思ったが、どう見ても父の車が接触したとしか思えない。父に問いただすと、驚いたことに、接触自体に気づいていなかった。私は状況を説明し、一緒に倉庫の穴と車の傷を確認した。父は狐につままれたような顔をしていたが、一応納得したらしく、倉庫の持ち主の家に話をしにいった。(結局修理費を払うだけで話は済んで、揉め事にはならなかったが)

それからしばらくして、父の方から、免許を自主返納して車を廃車にするつもりだと言ってきた。私もそれが妥当だと同意した。その時の父は、困ったような寂しいような顔をしていた。数日後、私が仕事から帰ると、車はなくなっていた。

 

いま、父はもう亡くなっているが、あのとき免許を自主返納したのは(ちょっとおおげさだが)英断だったと思う。父の性格からすれば、意地になって乗り続けた可能性もあったし、そうなれば自分や他人を危険な目にあわせたかもしれない。

ただ、気のせいかもしれないが、車を処分した後の父は一気に老いが加速したような気もする。

まあ、なんにしても、いまとなっては父も軽トラも私の記憶の中にしかない。車庫として使っていた倉庫には、私の原付だけがポツンと置かれている。

 

以下、蛇足のことながら。

最近、高齢者の運転による事故が目立ち、免許の自主返納や、免許制度の見直しが話題になっている。

議論になるのは当然だと思うが、その場合、同じ高齢者でもある程度公共の交通機関が充実した都市部に住む人と、田舎に住む人とでは状況がまったく違ってくる。(高齢者に限らないが)田舎に住んでいるものにとって車は生命線、まさに命綱と言っていい。

もし、なんらかの形で運転を制限するような方向に議論が進むのなら、それに代わる生活の手段を合わせて考える必要がある。

車(の運転)はただそれだけであるわけではなく、 人の生活の一部だからだ。

 

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