何を読んでも何かを思いだす

人生の半分はフィクションでできている。

とりとめもなくとめどない雨

 

朝からずっと雨音が聞こえている。

休日の今日はほぼ一日中布団の上にいて、本を読んだり漫画を読んだり動画を見たりうたた寝したりしている。

雨は激しくなったり小降りになったりしながらも、けして止むことはない。

昨日は仕事だったけれど、豪雨の影響でいろいろと支障が出ていて、いつもより余計に気力や体力を消耗してしまう。湿度が高い中でつけているマスクも鬱陶しい。濡れた靴の中が気持ち悪い。

 

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3年前の豪雨災害のことを思い出す。

あの時も激しい雨の中をバイクで仕事に行った。しかし、家を出て100メートルも行かないうちに、事態が異常であることに気づいた。月並みな表現だが、道路が「川」になっていた。足首まで浸かるぐらいの水かさだった。

それでも無理にバイクを走らせた。幹線道路に出れば水もはけているのではないかと思ったのだ。途中、道路と田んぼの境を見誤ったのだろう、プリウスが一台田んぼに突っ込んでいた。

幹線道路はさらに水かさが増していた。無理矢理走っている車もあったけれど、なんだか水陸両用車のように見えた。これでは無理だ。

突然バイクのエンジンが止まった。「しまった!」と焦る。もしエンジンに水が入ったのなら、バイクが駄目になったかもしれない。水の少ないところまで引き返し、キックでエンジンをかけてみる。何度目かでかかったのでほっとする。

その後だいぶ遠回りをしてなんとか職場にたどりつく。もっとも仕事にはならなかったけれど。

 

私の家は少し高いところにあり、近くに川もないのでとくに被害もなかった。

数日後、晴れた日に町の中を見てまわった。

氾濫した川の近くにあった田畑は泥で覆われていた。少し前に田植えが終わったばかりの田んぼは、ただの茶色の場所になっていた。

道路に残った泥が乾燥し、土埃が酷かった。

少し低いところにある家々はどれもみな薄汚れていた。壁に残された水の跡は、ゆうに1メートルを超えていた。中の家具を外に積み上げているところも多い。自分の家が無傷なのが、なんだか申し訳ないような気さえした。

フロントガラスのところまで土砂に埋まっている軽トラックを見たときはゾッとした。

 

九州では毎年7月の初めに決まって豪雨になる。

昔からこうだっただろうか?

私が子どもの頃は、ここまで酷い雨はそう多くなかったような気がするのだけど。

明日も雨だろうなあ。

 

  終わりなき呪詛のようなる雨音を

  聞きつつ眠る夢も見ずして

 

(追記)

この記事は昨日書いたもので、今日になってようやく雨が止んだ。少しほっとしている。