何を読んでも何かを思いだす

人生の半分はフィクションでできている。

小人閑居して不善をなす

 

忙しい……。

予想していたように12月に入って猛烈に忙しく、後半になってそれに輪をかけて忙しくなった。心身ともに疲弊して、青息吐息の毎日だ。

と言いながら、こうしてブログを書くぐらいの時間と気力はあるのだから、死ぬほど忙しいというわけではない。でも死なない程度に忙しい。

 

しかし、人間忙しいぐらいがちょうどいいのかもしれないな、と思ってみたりもする。

私の好きな言葉というか、本当にそうだなと深く納得する言葉に、

小人(しょうじん)閑居して不善をなす

というのがある。意味としては、「つまらない人間は、暇を持て余してるとロクなことをしない」といったところ。[注]

仮に私が仕事を辞めて「毎日が日曜日」状態になったとする。(金銭的な問題は無視する)

最初のうちは、前からやりたかったいろいろなことをやって充実した日々を送ることができるかもしれない。しかし、そのうちだんだんと生活がだらしなく乱れてきて、グダグダの毎日を過ごすようになるだろう。そして結局時間を持てあますことになる。たぶん、いや、必ずそうなる。

きちんと自分を律することができる人ならいいが、それができない人は、ある程度外部からの制約があった方が生きていきやすいのかもしれない。残念ながら。

 

忙中閑あり。

忙しい忙しいと不平不満を言いながら、わずかな暇を見つけて好きなことをするぐらいがちょうどいいのかもしれない。

だって「小人」だもの。

 

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[注]もともとは「閑居」とは「独りでいること」という意味だったらしい。つまり「つまらない人間は、独りでいる(他人の目がない)とロクなことをしない」という意味だった。それがいつのまにか「閑居」=「暇を持て余す」という意味になって、こちらの方が一般的になったらしい。まあ、独り者の私にとっては、どちらにしても耳の痛い言葉だ。