何を読んでも何かを思いだす

人生の半分はフィクションでできている。

『人生劇場』が気になって

 

いま尾崎士郎『人生劇場』が気になっている。

 

きっかけは例によってヤフオクだった。

いつものようにヤフオクを物色していたら、新潮文庫版の『人生劇場』が全11冊揃いで出品されていたのである。

『人生劇場』は「青春篇」「愛欲篇」「残侠篇」「風雲篇」「離愁篇」「夢現篇」「望郷篇」「蕩子篇」というふうに戦前から戦後にかけて書き継がれているのだが、新潮文庫版は最後の「蕩子篇」を除く7篇を11冊にまとめている。

もちろん絶版で、一冊ずつではそれほど珍しくはないがセットではあまり見かけないし、見かけたとしてもそれなりの値段がついている。そのヤフオクでは相場よりずいぶん安い値段で最低値が設定されていた。

『人生劇場』なあ……。

もちろん読んだことはない。『人生劇場』というとなんとなくヤクザ映画の原作小説というぐらいのイメージしかないし、いますぐ読んでみたいというわけでもない。しかし手元にあればいつか何かの拍子に読まないとも限らない。なんといっても相場より安い……ということで、買うことにした。(そんな曖昧な理由で本を買うから積ん読ばかり増えていく)

 

 

入札の締切日まで、私以外にその本に注目している人はいないようだった。

私としてはもう手に入れたも同然で、『人生劇場』や尾崎士郎についてあれこれ調べ始めていた。

ところが好事魔多しと言うべきか、天網恢恢疎にして漏らさず……はちょっと違うが、とにかく終了時間直前に競争者が現れたのである。私は少なからず慌てた。

3回ほど値段を上げて入札してみたが、相手は常に私より高値を入れてきて、まったく退く様子がない。相手の強い意思が伝わってくる。

それで、ちょっと迷ったが、結局私の方から降りることにした。

まあ、もともとそんなに読みたいというわけでもなかったし、いま無理に買うこともない。縁があったらまたそのうちどこかで見かけるだろう。

そのくらいの軽い気持ちだったので、それほど残念でもなかった。

 

ところが……一日二日と時間が経つうちに、なんだかどんどん『人生劇場』が気になってきたのである。読みたくなってきたのである。

やっぱりあの時もう少し勝負をした方が良かったのではないか? 諦めるのが早すぎたのではないか? そう思ううちに、頭の中で逃した魚がどんどん大きくなっていく。

こうなるともう我慢ができず、ヤフオクはもちろん、Amazonマーケットプレイスや「日本の古本屋」を検索しまくることになる。

しかしやっぱり新潮文庫版の揃いは高いし、バラで集めると手間がかかる上に結局高くつく。

さてどうしようかと思っていたところ、ヤフオクで単行本のセットを見つけた。戦後に刊行された複数の版が混じっている寄せ集めのセットだが、各篇が一通り揃っている。しかも新潮文庫には入っていない最後の「蕩子篇」の単行本までついている。なにより値段が安い。(これが大事)

数日後、今度は競争者も現れず無事に落札。

 

というわけで、いま『人生劇場』が私の手元に揃っている。

これから読むのが楽しみである。今回は積まずにちゃんと読む、つもり、なのだが……。

(ちなみに電子書籍なら各篇200円程度で簡単に入手できる……)