何を読んでも何かを思いだす

人生の半分はフィクションでできている。

書く楽しみ、読まれる喜び

 

3月17日でブログを開設して丸3年になった。

おめでとう、私。よくがんばったな、私。

……しかし、なぜだろう、いまひとつテンションが上がらない。

 

ブログを始めた人の9割ぐらいが1年と経たずにやめていくといわれる中で、記事数は少ないけれど、曲がりなりにも3年続けられたというのはちょっと自慢してもいいことのような気がするのだが、このテンションの低さはなんだろう。

1周年の時はかなり嬉しかったし、2周年の時もまあまあ嬉しかったのだが、3周年の今回は「まあ、こんなもんか」みたいな感じになっている。

 

それだけブログを書くことが当たり前のことになったということなのだろうか。一応ブログが軌道に乗った、安定したのだとも考えられる。

そうかもしれない。しかしそれとは少し違うような気もする。

それにブログを書くことが「当たり前のこと」になるのもいいことなのか、どうか。書くことに慣れすぎてしまうのも、どうなんだろう。

 

 

ブログを書いていると、子どもの頃にプラモデルを作っていたことを思い出す。

そんなに頻繁に作っていたわけではないけれど、ときどき作りたくなって、親に頼んで何かのついでに車で街に買いに連れて行ってもらう。作っていたのは「ガンプラ」とかではなくて「スーパーカー」が多かったような気がする。

子どものことだからそんなにキチッと作れるわけではなく、塗装とかもせず、ただパーツを図面通りに組み上げるだけだったけれど、できあがった時はそれなりに達成感があった。

それを誰かに見せるというわけでもなく、ただ(ヘタクソながらも)完成したものを眺めてしばらくニヤニヤするというだけのことだ。つまりは自己満足である。しかしやがてそれにも飽きて、押し入れのおもちゃ箱に放り込んでしまう。そしてまたしばらくすると新しいプラモデルが作りたくなる。そういう「一人遊び」である。

ひょっとしたら私にとってのブログもそういうものかもしれないと思ったりする。

 

もちろんブログの文章は他人に読んでもらうためのものである。

ブログは「一人遊び」かもしれないと言いながら矛盾するようだが、誰も読んでくれない文章をただ淡々と書き続けるのはやはり難しい。

思うに、書くことには二段階の楽しみがあるのだ。一つは書くこと自体の楽しみであり、もう一つはそれを自分以外の人間に読んでもらう楽しみである。それは連続したものではあるが、同じものではない。

あるいは「書く楽しみ」「読まれる喜び」と言ってもいいかもしれない。どちらもブログを続けていくのに必要なものだが、そのバランスが大事だと思う。

「書く楽しみ」だけでは継続のモチベーションとして少し弱いし、「読まれる喜び」にとらわれ過ぎると書くことがつらくなるかもしれない。

この二つがいい感じでバランスが取れていれば、ブログを長く続けられるような気がする。

 

なんだかわかったようなことを書いてしまったが、3年経ったいまでもまだ手探りでブログをやっている。ずっと手探りかもしれない。それはそれでいいか。

それじゃあ、4年目いってみよう。