何を読んでも何かを思いだす

人生の半分はフィクションでできている。

愚痴も芸のうち

 

仕事が地獄である。

毎年12月は繁忙期でたいへんなのだが、それでも去年と一昨年は休日にブログを書くくらいの精神的余裕はあった。しかし今年はイレギュラーな事情からそれに輪をかけて忙しく、休日も気力体力が尽き果てたままぐったりしている。

「忙殺」という言葉をこれほどリアルに感じたことはない。

そもそもウチの会社は……と、愚痴を書き連ねたくなるのを思いとどまる。

愚痴は、書く方はいくらか気持ちがスッキリするのかもしれないが、そんなものを読まされる方はいい迷惑だろう。

 

もっとも、私は愚痴っぽいブログを読むのがそんなに嫌いじゃない。

これが生身の人間に面と向かって愚痴を言われるのなら、相手がどんな別嬪さんでもまっぴらごめんだが、いったん文字として書かれた言葉だと良くも悪くも生臭さが薄くなっているので、そこまで嫌な気分にはならない。(相当ハードな内容だと引くけれど)

なかには、書いてある内容はたしかに愚痴なのに、なぜか妙におもしろい文章というのもあって、そういう愚痴は一つの「芸」として成立しているのかもしれないと思う。なかなか得難い「芸」である。

まあ、そういう「芸」がない愚痴ならば、やっぱり書かないほうがいいのだろうな。

 

ああ、まだこれだけしか書いてないのに、もはや気力も記力も尽きてしまった。

というわけで、この辺で。