何を読んでも何かを思いだす

人生の半分はフィクションでできている。

無為な休日の短歌

 

今日は休日、なのだが、必要最低限の外出(金融機関、スーパー)しかせずにほとんど家にこもっている。

こう書くと「まあ、コロナ禍だからしかたがない」と思われるかもしれないが、そうではない。実は2年ぐらい前からこんな休日が増えているのだ。

必要最低限でも家の外に出るのはまだいい方で、前日に食料を買いこんで、休日は文字通り一歩も外に出ないという日も多い。本当に一歩も。

 

では家で何をしているかといえば、動画(ほとんどアニメ)ばかり見ている。

私の家にはパソコンはなく、もっぱらタブレットを使っているのだが、以前は通信量が限られていたため、よほどのことがないと動画なんか見なかった。それが2年前、携帯ショップの人の口車に乗ってに勧められて家にWiFiを引いてから動画を見ることを覚えた。これがいけない。それ以来、だらだらと動画ばかり見ている。

いや、人のせいにしちゃいけないな。WiFiや動画が悪いわけじゃない。

つまりは私に克己心というか、自分を律する力がないからそういうことになる。そういう人間にとって、安易な娯楽にあふれた今の世の中はとても危険だ。

ご利用は計画的に。

  

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しかし、それでは動画を見る時間を減らせば建設的で有意義な休日が過ごせるかといえば、そういうわけでもなく、やっぱりなんやかんやでだらだらと一日が終わってしまって、後から「せっかくの休日だったのに」と思うのだ。

 

そんな無為な休日のひとコマを短歌(のようなもの)にしてみました。ご笑覧ください。 

 

100ページ栞が動いた分だけが

今日という日の証明になる

 

積もらずにはかなく消える淡雪を

ふと思い出すATM前

 

はかれどもはかれども

わが血圧低くならず

フッとため息

 

小松菜のおひたし作っているうちに日が暮れてゆく

そんな休日