何を読んでも何かを思いだす

人生の半分はフィクションでできている。

鈴木さんの本

 

元日から早くも「古本病」の発作が起こり、ヤフオクでこんなものを買ってしまった。『百家短編集』と題した本が7冊と、『諸家説苑』と題した本が4冊、計11冊のセットだ。

 

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私はネットで古本を買うとき、知らない著者や内容がよくわからないタイトルの場合は事前に検索をかける。だいたい国会図書館と「日本の古本屋」を見るのだが、上の二つの書名はどちらでもヒットしなかった。

見るからに古そうな本だし、なにより格別に安かったので、「まあいいか」と思って購入したのだ。

商品が届いて実物を見ると、検索にかからなかった理由がわかった。この本、個人が作ったオリジナルの本だったのだ。正確に言えば、複数の雑誌をバラして製本した「合本」である。(そういう可能性も考えなくはなかったが)

本の背には手書きの書名の下に「鈴木編」と書かれている。つまり鈴木さんが作ったわけだ。いい仕事してますな、鈴木さん。

 

元になっている雑誌は大正12、3年頃の『中央公論』が多い。そこに同時期の『改造』などほかの雑誌が混じっている。これらの雑誌の中から鈴木さんが気に入った作品、気になった記事を集めて作ったのがこの本だ。

『百家短編集』には小説や戯曲などの創作が集められている。そこでは芥川龍之介稲垣足穂が「現役」の作家として掲載されている。

 

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もちろん芥川の作品は現在でも文庫本などで入手することができる。初出の雑誌で読んでも、いまの文庫で読んでも内容が大きく変わるわけではない。専門の研究者は別として、普通の読者がわざわざ古い版で読む必要はない。若い頃はそう思っていた。

いまも基本的には同じ考えなのだが、いまはその一方で、古い版で読む楽しみというか、独特の味わいのようなものも感じるようになった。まあ、単なるレトロ趣味なのかもしれないが。

 

もう一方の『諸家説苑』には、評論や随筆のようなものが集められている。実はこっちの方が興味深い。

松崎天民の「『どん底生活』の報告書」とか大泉黒石の「西伯利(シベリア)三界を迂路(うろ)つく」なんて、タイトルからしておもしろそうだ。

雑誌にはその当時の時代の空気というか、人々の気分のような、後世にはなかなか伝わりにくいものが込められている。

 

この鈴木さんが作った合本には、表紙や目次、広告といった不要なものははずされていて、ただ本文のページだけが綴じられている。そこがちょっと残念だ。古本好きとしては、雑誌もできるだけそのままの形で残してもらいたいところだ。

しかし、雑誌を読み捨てにせず、こうやって手間暇かけて製本する熱意も好ましい。

鈴木さんがどんな人だったのか、もちろんわかるわけがないけれど、鈴木さんが生きた時代に思いを馳せながら、ちびちびと読んでいくことにしよう。