何を読んでも何かを思いだす

人生の半分はフィクションでできている。

啄木全集を買う

 

前回の記事で、石川啄木の短歌を引用したのだが、そのあと急に啄木に対する興味が強くなった。こういう流れには乗っかった方がおもしろい。

 

そこで本格的に読んでみたいと思い、手頃な本はないかとヤフオクを物色していたところ、古い全集がけっこう安い値段で出ているのを見つけた。

うん、確かに安い。しかし、あまり読んだことのない作家をいきなり全集で買うのはいかがなものか。途中で興味がなくなったら、積ん読になって場所をふさいでしまう。うーん、どうしたものか……などと、迷ったフリをするのは、一応自分に対するアリバイ作りみたいなもので、指はすでに「入札」をタップしている。

で、落札。届いた本がこちら。

 

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『啄木全集』岩波書店、1961)全16巻+別巻だ。半世紀以上前の本としては、状態もまずまずか。

岩波書店は一時、この新書サイズの全集(選集)をよく刊行していて、漱石、鷗外、芥川といったメジャーどころの他にも、寺田寅彦福沢諭吉などの小説家以外の全集(選集)もこのサイズで出している。

文庫本よりハンディな感じがしてけっこう好きなのだが、少し古い本だから文字が小さいのが難点で、中高年にはちょっと厳しい。

 

最近では、文学系の個人全集の古本は、一部の通好みの作家のものを除いて軒並み値下がりというか、値崩れを起こしている。それでもあまり売れないらしい。

その理由として、一人の作家の全作品(日記や書簡を含めて)を読むという「体系的読書」が流行らなくなってきたということがあるかもしれない。また単純に住宅環境(本の置き場所)の問題もあるだろう。

だから、逆に言えば、個人全集はいま買い時なのだ。

一般的に個人全集は新しい版の方が価値が高い。それは最新の研究成果が反映されているからだが、研究者や専門家ではない普通の本好きが読書を楽しむだけなら安い旧版で充分だ。

 

しかし……勢いで買ってしまったのはいいとして、これ、ちゃんと読むんだろうか?

我ながら自信ないなあ。

なので、今後しばらくしても啄木関係の記事が出てこない場合、こう思っていただきたい。

「ああ、やっぱり積んだんだ……」