何を読んでも何かを思いだす

人生の半分はフィクションでできている。

N君とカウンタック

 

N君は小学校の時の同級生だ。

特別に親しかったわけではないが、家の方向が同じだったのでときどき一緒に帰るぐらいの仲だった。

ある日、何人かの友だちとおしゃべりをしていた時、何がどうしてそういう話になったのか、N君が突然、

「うちのお父さん、カウンタック持ってるんだ」

と言った。

私たちは「きょとん」とするしかなかった。

 

説明しよう。

カウンタックランボルギーニ  カウンタック)は70年代を代表する「スーパーカー」の一つだ。

 

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https://matome.response.jp/articles/1901

 

スーパーカーというのは、超カッコよく、超速く、超高価な、とにかくスーパーなスポーツカーの総称である。(説明になってないが)

私が小学生の低学年の頃、つまり70年代の中頃に「スーパーカー・ブーム」というものが起きて、さまざまなメディア(一般の雑誌、漫画雑誌、テレビ番組など)でいろんなスーパーカーが紹介された。

池沢さとしの漫画『サーキットの狼』の影響だと言われており、他にも理由はあったのだろうが、とにかく猫も杓子もスーパーカーといった感じだった。

しかし、当然ながら、ブームになったからといって誰もがホイホイと買えるような代物ではない。都会でさえ実際に目撃することは稀なのだ。ましてや田舎をや。むしろUFOの方が目撃の確率は高いかもしれない。

そんなスーパーカーに飢えた子供たちのために、「スーパーカーカード」や「スーパーカー消しゴム」といった商品が用意されていた。大人は親切だ。

私も少ない小遣いで「ガシャポン」を回し(消しゴムは「ガシャポン」商品だった)、友だちと見せ合ったり、重品を交換したり、ノック式ボールペンを使ってレースをしたり、先生に怒られたりした。

 

実物は手に入らなくても、知識や情報は得ることができる。

今のようにインターネットがない時代なので、知識を得るためには当然本を読むことになる。当時は子どもを対象にした◯◯入門とか△△図鑑のような本がたくさん出版されていた。例えばこんな本だ。

三本和彦『いちばんくわしいスーパーカー』(立風書房、1977)

 

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これは私が子どもの頃に買った本、ではなく、最近ヤフオクで衝動買いした本だが、これと似たような本を当時よく読んでいた。

そして本から得た知識を得意になって友だちに披露していた。嫌なガキだ。

(余談だが、 この時代の子どもの本には、モノによってはそれなりの古書価がついていたりする。実家を探してみたら、意外な掘り出し物があるかもしれない)

 

さて、冒頭の話のつづき。

しばらく「きょとん」状態だった私たちだが、それから覚めると口々にN君を非難した。

「嘘つけ!」「そんなわけないじゃん」「ラジコンだろ?」(当時はラジコンも流行っていた)などなど。

確かにN君のお父さんは普通のサラリーマンや農家ではなく、何か小さな事業(商売?)をやっていたはずだが、それでカウンタックが買えるかどうかは(失礼ながら)子どもにもわかる。

しかしN君は退かなかった。

「嘘じゃないよ!  じゃあ家に来てよ、見せてあげるから!」

もちろん誰も行かなかった。それは、バカバカしいからというよりも、それ以上N君を追いつめるべきではないという、子どもなりの判断だったのではないかと思う。

話はそれっきりで、2、3日もすればみんな(N君自身も含めて)そんなことは忘れてしまったようだが、それにしても、なぜN君は急にあんなことを言ったのだろう。嘘をついてまで人の気をひく子ではなかったと思うのだが。

 

N君とは中学まで一緒だったが、高校は別で、その後の消息は知らない。

いまどこでどうしているのやら……。