何を読んでも何かを思いだす

人生の半分はフィクションでできている。

どうでもいい、とは言えなかった

 

今週のお題「アイドルをつづる」

 

私が小学生の頃の国民的アイドルといえばピンクレディーだった。

テレビで彼女たちを見ない日はなく、学校でもいつも話題だった。しかも「ミーちゃん派」と「ケイちゃん派」というのがあって、どちらが好きかを表明しなければならない。

私はどちらが好きということもなかったが、とりあえず「ケイちゃん」と答えていた。

 

私が中学生になる前後からアイドルの世界はもっとにぎやかになる。

松田聖子たのきんトリオがデビューし、そしていわゆる「花の82年組」が次々にデビューする。

学校でも当然彼らの話題が多くなる。熱心な子は当時のアイドル雑誌『明星』や『平凡』をこっそり持ってきて、友だちと一緒に見ていた。

そしてこれまた当然のように「誰が好き?」という話になる。

こういう話を振られると困った。

別にアイドルが嫌いだったわけではない。彼らが出ているバラエティ番組や歌番組も見ていた。しかし特定の誰かを好きになったり、応援したりということはなかった。そこまでの興味はなかったのだ。

だが、そういうふうに答えると、話はそれで終わってしまう。

こういう場合は、

「俺は◯◯が好きだな」

「えっ、そうなの? 俺は△△の方がいい」

「いやいや、どう見ても一番かわいいのは××だろう」

みたいに名前を出し合わないと話が盛り上がらない。

それで私はそういう場合、某ちゃん(なんか失礼なので名は伏せる)が好きだと答えるようにしていた。

 

そのうち私の中に、ある種の固定観念ができあがっていったようだ。

それは「中学生の男の子は、特定のアイドルが好きなのが当たり前」というようなものだった。

それがさらに強固になっていくと、逆に「特定のアイドルに興味がないのは、ちょっと普通じゃない」みたいになっていく。

 

私は市内に一軒しかなかったレコード店に行って、某ちゃんのシングルレコードを買ったり、某ちゃんがゲスト出演するラジオ番組をカセットテープに録音したり、雑誌の付録についていたポスターを部屋に貼ったり、雑誌の切り抜きを透明な下敷きの間に挟んだりした。

それは本当に某ちゃんが好きになったからではなく、「普通の中学生」はそういうことをするものだと思い込んでいたからだ。

 

こういうふうに言えるのは、「今になってみればそう思える」からで、実際のところ、当時の私が何をどう考えていたのかわからないし、覚えていない。

ただ、大人になった私から見ると、中学生の頃の私は(アイドルのことに限らず)ちょっとばかり無理をしていたような気がするのだ。

思い込みが強いというか、歳をとった今の私より頭が堅いというか。

あるいは「普通」という規範にとらわれていた中二病とでもいうべきか。

だから、もし当時の私に声を掛けてやれるとしたら、こう言ってやりたい。

ほどほどに他人に合わせるのも大事だけれど、興味がないことには「どうでもいい」と言ってもいいんだよ、と。

 

 

f:id:paperwalker:20190525230102j:plain