何を読んでも何かを思いだす

人生の半分はフィクションでできている。

本の街

 

 先日、ネット書店をうろうろしていたらこんな本を見つけた。

アレックス•ジョンソン『世界のかわいい本の街』(井上舞訳、エクスナレッジ、2018)

 

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「かわいい」というのは違うと思うが(なぜこの言葉を選択したのか、理解に苦しむ)素敵な本だと思う。

始まりの地とも言うべきイギリスのヘイ・オン・ワイはもちろん、ノルウェーフィヨルドの側にある小さな村や、韓国の非武装地帯の近くにある書店と出版社の街など、世界各地にある「本の街」を豊富な写真とともに(というか、写真がメインで)紹介している。

 

「紙の本」の未来を守り、電子書籍の襲来に立ち向かい、にぎわいをなくしたコミュニティに新たな光をもたらそうと、世界各地の村や街に、志を同じくする書店主、出版社、建築家たちなどが集まっています。(p.7)

 

ここに紹介された街の多くは「国際本の街協会」(the International Organization of Book Touns , IOBT)という組織に加盟していて、持ち回りで国際的なブックフェスティバルも開催している。

同じように本を中心にした街づくりでも、その環境によって個性が生まれバラエティに富んでいる。パラパラ眺めているだけでも楽しい本だ。

 

しかし、読み進めていくうちに、いろいろな疑問が頭に浮かんでくる。

本の街といっても定義は曖昧で、その取り組み方にも違いがある。

比較的大きな街に数軒の書店や古書店があるようなところもあれば、人口数百人ほどの小さな村のいたるところに本を置いているようなところもある。

ただ共通しているのは、どの土地も過去の主要産業が衰退して寂れていく一方だったということだ。

つまりこの「本の街」という企画には、多かれ少なかれ「町おこし」「村おこし」の意味がある。そういう視点で見た場合、この本による「町おこし」は本当に有効なのだろうか。

たしかにヘイ・オン・ワイは成功し、それがモデルケースになっているわけだが、むしろ成功する方が例外なのではないか。

日本でも年に1、2回ブックフェスティバルのようなイベントを開催するところはある。また、本が中心ではなくても、市や街の催事の一環として「一箱古本市」を行うところも増えているらしい。そういうのはいい。

しかし「本の街」として本を中心に据えてアピールし、恒常的に人を呼び込もうというのは、ちょっと無理があるんじゃないかな、と思ってしまう。

 

なんだか夢のない話になってしまった。

しかし、そこが「街」である以上住人の生活があるわけだし、生活は夢ではない。

そう思ってまたこの本を眺めてみると、そこにあるいくつもの「本の街」が、夢と現実の間に生まれた美しい幻のように思えてしまう。

 

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ウィグタウン(スコットランド)にある書店「バイアー・ブックス」(p.156 より引用)