『絵葉書を読む』第7回。今回の絵葉書はこちら。
『(明治四十三年八月東京大出水之実況)本所割下水附近』
明治43年8月中旬。
梅雨前線と2つの台風の影響により、関東地方は集中豪雨にみまわれた。
この豪雨によって、関東地方全体で死者769人、行方不明者78人、家屋の全壊または流出は5000戸以上という甚大な被害が出た。東京府だけでも約150万人が被災したという。(Wikipedia参照)
上の絵葉書は、豪雨後の東京府本所の様子を伝えている。
「割下水(わりげすい)」というのは道路の中央に造られた掘割のことで、江戸時代の初期に造られた。下水といっても生活排水を流すためのものではなく、雨水を効率よく川に逃がすためのものだ。幅はおよそ一間(けん)から二間〔約1.8m〜3.6m〕ぐらい。(ちなみにこの本所の割下水があったところは、現在では「北斎通り」という道になっている)
絵葉書には「割下水附近」とあるので、割下水から溢れた水によって冠水した近くの通りの様子を写した写真なのだろう。もともと水捌けが悪い土地なので、なかなか水が退かなかったものと思われる。
写真を見ると、男性の膝上ぐらいまで水がある。(50~60cmぐらいか)
舟を浮かべて後ろから人が押している様子は、 現代の水害の映像でも目にする光景だ。もっとも現代ではゴムボートだが。
おもしろい(といっては不謹慎だが)のはその奥の方に写っている男性で、水の上に立っているように見えるのは「戸板」にでも乗っているのだろうか。その横の人が乗っているのは一人用の小型の舟か。「たらい」 にも見えるが……。
表の通信文も当然この水害について書かれている。差出人の住所は、この写真と同じ「本所区」である。
此間は電話致如(いたしたごとく)。
此間の水害実に驚きました。一時は床上二尺以上、所に聞きては軒に接したる所も有ります。屋上に逃がれ飢餓に叫ぶも有り、病苦に責めらるれ共医薬を得るに術なきなど、悲惨なる光景筆紙の及ぶ所にアラズ。幸いにして目下平日の如く減退致しました。ご安神[ママ]を。
序に試験は来月一日より三日間……
短いながらも迫真のレポートだ。
消印は8月23日。水害から十日後ぐらいか。水が退いてようやくひと段落といったところだろうか。
試験云々というところを見ると、差出人は学生だろう。宛先は同じ東京の「牛込区」、宛名人は同じ苗字の女性になっているので、ひょっとしたら母親かもしれない。
まずは電話で急いで無事を伝えておいて、少し落ち着いてからあらためてこの葉書を出したのではないだろうか。
昔の絵葉書には、こういうニュースを伝えるメディアとしての役割もあったのだ。